篠原宿(読み)しのはらしゆく

日本歴史地名大系 「篠原宿」の解説

篠原宿
しのはらしゆく

平安末から中世にかけて東山道に置かれた宿。古代東山道の篠原駅の後身とする説があるが未詳。元暦二年(一一八五)五月に壇の浦合戦で生捕りとなった平宗盛・清宗父子は、源義経に伴われて鎌倉へ護送される途中、野洲川を渡って三上みかみ山を見ながら篠原堤・鳴橋なるはしを通過、かがみ宿(現蒲生郡竜王町)に着いている(「源平盛衰記」巻四五内大臣関東下向附池田宿遊君事)。そして鎌倉からの帰路、六月二一日に再び篠原宿に着き、同所で宗盛父子は斬首された(「吾妻鏡」など)。篠原宿の位置は現大篠原おおしのはらに比定され、大篠原の中心部を流れる光善寺こうぜんじ川は成橋なるはし川ともいわれ成橋の小字も残る(明治六年「大篠原村地券図」野洲町役場蔵)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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