( 1 )勾践が胆をなめて恨みを忘れぬようにしたという「嘗胆」の故事は、「史記‐越世家」「呉越春秋」にみえる。「臥薪嘗胆」の語は、「蘇軾‐擬孫権答曹操書」の文中にあるものの、「臥薪」の故事についての「十八史略」以前の典拠は不明。
( 2 )日本では、日清戦争後に遼東半島の領有をめぐって「三国干渉」が行なわれた際、世論の合い言葉として流行した。
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元来は中国の《史記》〈越世家〉などに見える〈復讐(ふくしゆう)するため艱難(かんなん)辛苦する〉ことを意味する成句であるが,日本史上では,日清戦争後ジャーナリズムを中心に流布したスローガンとして知られている。戦後,国民は戦勝気分にひたっていたが,1895年5月10日,遼東半島還付の詔勅がだされ,三国干渉に日本が屈したことが明らかになると,〈勝って驕らざるのみならず,前後の事情を忖度(そんたく)するときは,所謂胆を嘗め薪に坐して大いに実力を培養するの必要あることは,此際国民一般の感ずる処〉(《東京朝日新聞》同年5月15日,社説)などと主張され,〈臥薪嘗胆〉の声が国民の間にも広がった。この標語は,政府が挙国一致の維持をはかり,軍事力の強化をめざす戦後経営で増税,公債発行などに国民の協力をもとめるうえで,うってつけの言葉となり,国民にロシアへの報復という思想をひろめる役割を果たした。
執筆者:中塚 明
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薪(たきぎ)の上に臥(ふ)し、苦い胆(きも)を嘗(な)める意で、復讐(ふくしゅう)の志を忘れず、長い間艱難辛苦(かんなんしんく)すること、また将来の成功を期して、報われないままに長い間苦労することをいう。中国春秋時代、越(えつ)王勾践(こうせん)に敗れて死んだ呉(ご)王闔呂(こうりょ)の子夫差(ふさ)は、薪の上に寝て父の仇(あだ)を忘れぬように努力し、ついに会稽(かいけい)山に勾践を破って降参させた。勾践はのち許されて帰国したが、以来、つねに苦い胆を部屋に掛けておき、それを嘗めては自ら復讐心をあおり、とうとう夫差を滅ぼして「会稽の恥」を雪(すす)いだ、と伝える『史記』「越世家」の故事による。
[田所義行]
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…父の死後,句践が立って呉王闔閭(こうりよ)を破ると,闔閭の遺命をうけた子の夫差は,2年後に句践を会稽山に下して父の仇に報いた(前494)。許されて帰国した句践は,范蠡(はんれい)らとともに臥薪嘗胆(がしんしようたん)して会稽山の恥を忘れることなく力を養って20年,ついに前473年に呉を討ってこれを滅ぼした。その後,越の勢力は盛んになり,句践は覇者の一人に数えられるにいたった。…
…清国は対日賠償のため巨額の借款を余儀なくされ,列強の利権要求を招いた。しかし,日本の遼東半島割取はロシア,ドイツ,フランスの三国干渉を招き,3国の武力に屈した日本は遼東半島を清国に還付し,国内では臥薪嘗胆(がしんしようたん)の声が起こった。【藤村 道生】。…
※「臥薪嘗胆」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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