20世紀への世紀転換期に,ドイツやフランスで興った従来の概念法学的,法実証主義的傾向に対して,科学主義に即応して法曹の法解釈に自由な創造力を与えようとした,法律学の革新運動。自由法運動Freirechtsbewegungともいう。もっとも典型的にあらわれたのはドイツである。ここでは,中世以来の普通法学を母胎にして,法秩序の無欠缺(むけんけつ)性,論理的完結性,体系的整序性を前提に,精緻な概念構成と厳格な形式論理による,いわゆる概念法学的思考がピークに達していた。それは高度に発展した資本主義と技術革新の社会現象に適合した法技術学でもありえたが,他面で制定法規と法概念との関係で裁判官の自働機械化の性格はぬぐいきれず,規範と現実の乖離(かいり)の問題を解消しきれなかった。そこに新しい時代潮流と呼応して起こった法曹の運動が自由法論である。カントロビチ,エールリヒ,フックスErnst Fuchsらが中心になったが,彼らは教会組織に反抗した〈自由宗教〉〈自由思想〉の運動とも連動しており,たんに法曹の中だけの運動ではなかった。とくにフックスはラディカルな運動の先頭をきり,法学教育の改革を唱えた。自由法論はまた裁判官内部の改革運動に波及している。自由法論は,法の無欠缺性を認めず,法の合目的的な運用,法解釈学の実践的性格,裁判官の法創造的機能を強調した。この運動は,科学主義を標榜(ひようぼう)しており,当時なお市民権を得ていなかった社会学を導入し,法社会学の領域を開拓したことは注目される。エールリヒは〈生ける法〉を経験科学的に探求することによって,ドイツに〈法社会学〉を誕生させた。他方でまたヘックPhilipp von Heck(1858-1943)の〈利益法学〉にみられるように,法の解釈学自体に新生面を開いたものもあり,自由法論は多彩な方向をはらんでいたといえる。
フランスでは,ナポレオン法典が早く(1804)に成立した関係もあり,成文法を唯一の法源とみなし,その厳密な適用を求める注釈学派が長く支配していた。この傾向に対してサレイユやジェニーらの科学学派が行った批判の運動も,ドイツの自由法論とつながりをもっていた。
→概念法学
執筆者:上山 安敏
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自由法運動を基礎づける法学の一学派。自由法学ともいう。
[編集部]
…ところが19世紀後半における資本主義の飛躍的発達とこれにともなう社会問題の激化を背景に,同世紀末から20世紀初めにかけ慣習法の再認識が行われる。法を国家権力の単なる命令としてとらえず,共同の意識に基礎づけようとするギールケらの立場や,国家法から独立している自由な法によって制定法の不備や欠缺(けんけつ)を埋めなければならないとする自由法運動(自由法論)がそれである。こうした動きに対応して,ドイツ民法典(1900)は,第1草案(1887)が慣習法を基本的に否認しようとしていたのに反し,慣習法について明文の規定をおかず,学説にこれを委ねた。…
※「自由法論」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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