[1] 〘他サ五(四)〙 (
動詞「いたる(至)」に対する他動詞形という)
[一]
① 届くようにする。至らせる。
※
書紀(720)持統四年一〇月(北野本訓)「其の水田は曾孫
(ひひこ)に及至
(イタセ)」
② 全力をあげて事を行なう。
(イ) (おもに「心」に関係のある語に付いて) 誠意を尽くす。できる限りの事をする。
※伊勢物語(10C前)四一「心ざしはいたしけれど」
※
今昔(1120頃か)六「其後、彌
(いよい)よ信を至して」
(ロ) (命、身などの語を伴って) 命を差し出す。身を捧げて事を行なう。
※書紀(720)雄略九年三月(前田本訓)「身を対馬の外に投(イタシ)」 〔論語‐学而〕
③ (①の意から) ある状熊にたち至らせる。多く、よくない結果を引き起こすことをいう。
※宇津保(970‐999頃)藤原の君「おほやけの御ためにさまたげをいたし」
※平家(13C前)灌頂「世をも人をも憚かられざりしがいたす所なり」
④ (「富を致す」などの
かたちで) 獲得する。手に入れる。
※小学入門(甲号)(1874)〈民間版〉「
家業を励めば富を致
(イタ)す」
⑤ 話相手に対し自分や自分の側の者を
下位に置く場合や、
目下の者に重々しく言う改まった場面などで、「(物事を)する・なす」の意に用いる。動詞の連用形に助詞「は・も」などの付いた形を受けるときは
補助動詞的な働きになる。
※虎明本狂言・引敷聟(室町末‐近世初)「今日ひもよふござる程に、むこいりを致す」
※洒落本・婦美車紫
(1774)高輪茶屋の段「わるじゃれをいったりしたりいたしますゆへ」
⑥ (
隠語のように用いて) 男性が女性と関係を結ぶ。
[二] 補助動詞として用いられる。(一)の⑤と同意。
※玉塵抄(1563)四一「赤心を下れたほどに返報いたさいでは」
※歌舞伎・怪談月笠森(笠森お仙)(1865)序幕「留立(とめだ)て致(イタ)すな」
(ロ) 敬語名詞(動詞の連用形に
敬意の
接頭語「お」を冠したものを含む)に付く。
※虎明本狂言・
筑紫奥(室町末‐近世初)「都まで
おともいたさう」
※
滑稽本・
浮世風呂(1809‐13)二「ちと拝見いたしたうございます」
[2] 〘自サ五(四)〙 改まった場面で用いる「する」の意の丁重な、いくらか堅苦しい表現。
※虎明本狂言・乞聟(室町末‐近世初)「うちにござらぬと仰らるるが、声がいたす」
※
塩原多助一代記(1885)〈三遊亭円朝〉一五「母の姿を視て喫驚
(びっくり)致しましたが」
[語誌](1)
上代・中古では、漢文訓読語として現われるのがほとんどで、「行為をなす」「尽くす」「結果としてある事態を招く」などの意で用いられている。
(2)中古の後半から記録体漢文や「今昔物語集」などに見えるようになる。語義上は、
後世の「なす」「する」に転化していく兆しを見せながらも、
前代からの漢文的・文章語的性格を多分に残していた。
(3)室町時代頃から「なす」「する」の
謙譲語として用いられるようになる。
(4)江戸時代には、「いたす」「…いたす」は
話し手(主として武士階級)の聞き手に対しての
自卑・丁重の表現、「お…いたす」は動作の及ぶ
対象への謙譲表現として用いられ、それが現代に及んでいる。
(5)江戸期には
二段活用のような
語形「いたする」の例がある。
(6)
現代語では(一)の(一)⑤、(二)、(二)の場合、ふつう「いたします」の形をとる。また、「お…いたします」の形で、対象への待遇価値が非常に高い表現として用いられている。