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良寛【りょうかん】
8件の用語解説(良寛で検索)
朝日日本歴史人物事典の解説-
生年:
生年不詳
没年: 天保2.1.6 (1831.2.18)
江戸後期の歌人,漢詩人。幼名栄蔵。越後国(新潟県)三島郡出雲崎の名主橘屋山本左門泰雄(伊織,号以南)の子として生まれる。享年73,74歳の両説が有力で,いずれも決め手に欠ける。誕生月を12月とする説も根拠不明。生年不詳とする所以である。以下,良寛の事蹟はさまざまな伝説,推測の中に埋没していて,事実を基に編年体の伝を立てるのは甚だ困難である。明和7(1770)年ごろに大森子陽の塾に入門し儒学を学ぶ。その後名主見習役に就いたが,実務家に適さない性格から役をなげうち,国仙和尚に従って備中国玉島(岡山県)の円通寺に向かった。出家の時期は不詳。またその後の事蹟も明らかではない。寛政8(1796)年ごろに帰郷,その後は故郷周辺を転々として生涯を終えた。弟子の貞心尼ほか周囲の人物の間接的な証言が,しかも断片的にしか伝わらないため,良寛の実像は今もって明らかではなく,生前すでに伝説的存在となった。 和歌や漢詩を非常に多く書き与えたためか,遺墨類はおびただしく,しかも重複するもので小異のある作品が多く,成立年代の考証は困難を極める。後人の編纂による詩歌集に拠らざるを得ず,自ら著述を残そうとしなかったこともあり,客観的な作品研究の余地がほとんどないのも特徴である。人間良寛の魅力があまりに大きく,評者,論者の理想とする良寛像が容易に築かれたため,推測による虚像が現実の素顔を覆ってしまった。歌人の面に限っても,その詠作活動があまりにも個人的で,歌壇史的究明が不可能なため,近世和歌史上に位置づけられない存在となっている。全集数種,研究書は膨大に存する。<参考文献>良寛全集刊行会『良寛伝記・年譜・文献目録』(『良寛全集』別巻1),宮栄二編『良寛研究論集』
(久保田啓一)
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世界大百科事典 第2版の解説-
りょうかん【良寛】
1758‐1831(宝暦8‐天保2)
江戸後期の禅僧にして歌人,書家。本名は山本栄蔵,のち文孝。字は曲(まがり)。号は大愚(たいぐ)。現在の新潟県,越後の出雲崎で代々名主と神官を兼ねる旧家の長男として生まれた。屋号は橘屋,父泰雄(通称次郎左衛門)は俳号を似南と号する近在では知られた俳人であった。長じて名主見習役になったが,1775年(安永4)18歳の年に隣村尼瀬の曹洞宗光照寺に入って剃髪,良寛を名のり,大愚と称した。79年光照寺に来た備中国玉島(現,岡山県倉敷市)円通寺の国仙の得度を受け,国仙に従って円通寺へ赴いた。・・・
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説-
良寛 りょうかん
 
1757/58-1831 江戸時代中期-後期の僧,歌人,書家。
宝暦7/8年生まれ。曹洞(そうとう)宗。越後(えちご)(新潟県)出雲崎の名主の子。備中(びっちゅう)(岡山県)円通寺の国仙の法をつぐ。のち帰郷して国上(くがみ)山の五合庵にすみ,托鉢の合間に詩歌や書をたのしんだ。詩集に「草堂集」,歌集に弟子の貞心尼編「蓮(はちす)の露」がある。天保(てんぽう)2年1月6日死去。74/75歳。俗名は山本栄蔵。字(あざな)は曲(まがり)。号は大愚(たいぐ)。
【格言など】うらを見せおもてを見せて散るもみぢ(辞世)
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デジタル大辞泉の解説-
りょうかん 〔リヤウクワン〕 【良寛】
[1758~1831]江戸後期の曹洞宗の僧・歌人。越後の人。号、大愚。俗名、山本栄蔵。備中(びっちゅう)円通寺の国仙和尚に師事。のち、諸国を行脚し、生涯寺を持たず、故郷の国上山(くがみやま)の五合庵に隠棲(いんせい)して独自の枯淡な境地を和歌・書・漢詩に表現した。弟子の貞心尼編による歌集「蓮(はちす)の露」がある。
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美術人名辞典の解説- 江戸後期の僧・歌人。越後出雲崎生。光照寺玄乗に従い得度、大愚良寛と称する。のち備中玉島円通寺国仙の法を嗣ぎ、以来二十数年間諸国を行脚し、奇行に富んだ飄逸の生活を送る。万葉風の和歌及び書風は天衣無縫で高い評価を得ている。天保2年(1831)寂、74才。
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百科事典マイペディアの解説-
江戸後期の禅僧,歌人,書家。俗名山本栄蔵。号は大愚。越後出雲崎の名主兼神職の子に生まれた。18歳で出家,22歳ころから国仙和尚に従い備中玉島円通寺で10余年修業。
(1758-1831)
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とっさの日本語便利帳の解説-
しかし、災難に逢[あう]時節には、災難に逢がよく候。死ぬ時節には、死ぬがよく候。是はこれ災難をのがるヽ妙法にて候。\良寛
禅僧(一七五八~一八三一)。
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大辞林 第三版の解説-
りょうかん【良寛】
(1758~1831) 江戸後期の歌人・禅僧(曹洞宗)。越後出雲崎の人。字(あざな)は曲,号は大愚。俗名,山本栄蔵。諸国を行脚修行して1796年ごろ帰郷。国上山(くがみやま)の五合庵に住み,農民や子供らと交わり超世俗的な一生を送った。詩・書もよくした。歌集に弟子の貞心尼編「蓮(はちす)の露」があり,二人の愛の贈答歌を収める。
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