現代では、いけ花の展覧会のことをいう。古くは平安時代の貴族の遊びとしての「花合(はなあわせ)」も花会とよばれた。室町時代、応仁(おうにん)の乱以後の「花立ての連歌」(『御湯殿上日記(おゆどののうえにっき)』明応(めいおう)9年〈1500〉12月3日)や「花の連歌」(『同日記』同10年正月23日)において、「花合」の優劣を競い合ったのも花会と称している。また六角堂頂法寺や本願寺系で行われた七夕(たなばた)会の立花(りっか)が、江戸時代になって社交的な遊びとなり、やがて花を中心とした立花会の成立を促し、今日の展覧会に近い花会となった。そのなかでも、1599年(慶長4)の池坊専好(いけのぼうせんこう)を主とする、京都大雲院の百瓶(ひゃっぺい)会、1629年(寛永6)の後水尾(ごみずのお)天皇主催の大立花会などが知られている。立花からより簡略な生花が生まれ、生花諸流がおこると、一流一派の示威のため花会はいっそう盛んとなり、明和(めいわ)(1764~72)、文化・文政期(1804~30)には「近ごろ生花はやりだして日々の会酒楼をふさぐ」(『当世垣のぞき』)と述べられるように、料亭や茶屋を会場にしてはでに開かれるようになった。明治維新による変革の風潮のなかで、花会は寺社の祭礼の奉納ぐらいに退いたが、盛り花という新様式の台頭とともに盛況を取り戻し、1912年(明治45)に、大阪三越(みつこし)百貨店において開かれた小原(おはら)式国風盛花展を嚆矢(こうし)として、商業資本と花会との結び付きは密接となり、百貨店での花会は盛んとなる一方、現在では美術展と同様、美術館はもとより公民館、各種会館、ホールなどの屋内スペースのあらゆる場所が利用され、また野外にまで広がっている。
[北條明直]
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