蔵目喜村(読み)ぞうめきむら

日本歴史地名大系 「蔵目喜村」の解説

蔵目喜村
ぞうめきむら

[現在地名]阿東町大字蔵目喜

阿武川の支流蔵目喜川の下流域、およびその支流である白井谷しらいだに川・赤松あかまつ川などの谷間に集落が点在する。村の北東大将たいしよう(六四四メートル)がそびえ、東・南・西の三方は四〇〇メートル以上の山に囲まれる。北は吉部きべ(現むつみ村)、東から南にかけて生雲いくも村、西は福井上ふくいかみ(現福栄村)に接する。奥阿武宰判に属した。

蔵目喜は古くから銅を中心とした鉱山として知られ、「延喜式」(主計上)長門国の項に調として「綿・糸・雑鰒、但大津・阿武両郡浮浪人調、充採銅鉛料」とある阿武郡の銅鉛はこの地のことをさすといわれる。この銅が長門の鋳銭所(のちに周防)に送られていたとされる。

中世の蔵目喜は東隣の生雲郷の中に含まれていたらしく、慶長一五年(一六一〇)検地帳は「蔵目喜鉛山」として鉱山石高のみを三千二四一石余と記す。村高は生雲郷分に含まれていたと思われる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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