薦田(読み)こもだ

日本歴史地名大系 「薦田」の解説

薦田
こもだ

中世よりみえる佐須さす郡内の地名。文永一一年(一二七四)モンゴル襲来のとき、当地小茂田こもだ浜に多くの軍船が殺到したといわれるが、史料上は確認できない。この合戦では守護代の宗資国(助国)をはじめ、武功第一であったという斎藤資定も戦死したという。「海東諸国紀」に「沙愁浦四処合三百余戸」とある四処に小茂田も含まれる。永正五年(一五〇八)「こもたのかま(塩焼の竈)知行が兵衛四郎に認められた(同年六月三日「宗盛次書下」佐須郡判物帳)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報