朝日日本歴史人物事典 「藤原光雅」の解説
藤原光雅
生年:久安5(1149)
平安末・鎌倉初期の公卿。院近臣葉室光頼と藤原親隆の娘の子。蔵人頭,弁官,院司,摂関家家司を務める。平清盛の命で近衛基通に仕え,文治1(1185)年には源頼朝追討宣旨を奉じたため解官されるが,その後九条兼実の信頼を得て検非違使別当を務め,権中納言に至る。
(奥田環)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
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