蘆崎村(読み)あしざきむら

日本歴史地名大系 「蘆崎村」の解説

蘆崎村
あしざきむら

[現在地名]青谷町青谷

潮津うしおづ村の北西勝部かちべ(青屋川)河口東岸に位置し、西は青屋あおや村、北は日本海に臨む。集落は家並続きの潮津村、勝部川対岸青屋村のそれと一続きの街区を形成し、この三ヵ村にまたがる町場は青屋と称され、当地は下青屋ともよばれた。勝部川の河口には近世気多けた郡諸産物積出港であった蘆崎湊が開かれ、船乗・漁民の居住も多く、また鳥取藩の青屋御蔵・青屋御茶屋も設けられていた。「因幡志」は当地の様子を「潮津と家続きにて一村の如し。但し町の半より水戸の方に在て、浜手は民家幾重となく五家七家づゝ離れ離れになりて、定まりたる町小路なし。農商交々なりと雖多くは漁人舟子の族住めり」と記す。拝領高は三三五石余、本免は五ツ五分。川役銀一五匁・海役銀一四五匁が課せられていた(藩史)。「因幡志」では家数一九八。安政五年(一八五八)の村々生高竈数取調帳によると生高三七二石余、竈数二四八。産物は丸山若布(因幡志)

青屋御蔵は万治三年(一六六〇)に設置された。「勝見名跡誌」によると、蔵屋敷には防火・防風のため松並木が設けられ、気多郡西構二九ヵ村(現在の青谷町全域にあたる)年貢米が納められていた。元禄年中(一六八八―一七〇四)には三千三〇〇石(八千五〇〇俵)が収納され、ほとんどが蘆崎湊から海路で藩の大坂蔵屋敷へ回漕された(鳥取県郷土史)。万延二年(一八六一)には異国船渡来の折に、蔵米を大坪おおつぼ村へ移すための駆付民夫一〇〇人が気多郡西構村村へ割当てられている。文久四年(一八六四)青屋御蔵塩方係に青屋御蔵奉行の岡田藤蔵、塩問屋当村山田文五郎が任命された。なお明治四年(一八七一)には蔵米一千五〇〇石が鳥取へ回漕されている(以上「在方諸事控」)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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