西山古墳群(読み)にしやまこふんぐん

日本歴史地名大系 「西山古墳群」の解説

西山古墳群
にしやまこふんぐん

[現在地名]辰口町徳久・高座

徳久とくひさ西部から高座こうざの北部にかけて、手取川左岸の独立丘陵(通称西山、標高約四四メートル)に位置する。なお同丘陵は一部寺井てらい秋常あきつね地内に延びる。能美古墳群の一角を構成し、主要地方道小松―鶴来つるぎ線に面した尾根上と斜面に弥生時代終末期の周溝墓および高塚古墳が総計一六基確認されている。昭和三八年(一九六三)に土取りを契機に緊急発掘を実施、同四二年には学術発掘が行われ、古墳群の大半は現状で保存されている。弥生時代末期の周溝墓は六号墓(円形)と一二号墓(方形か)で、いずれも複数の土壙墓を配している。

西山古墳群
にしやまこふんぐん

[現在地名]国見町中

なかの西部、海岸に臨む標高約一〇〇メートルの低丘陵の頂部あるいは尾根筋を利用して築かれた一二基(うち現在七基)横穴式石室を主体部にもつ群集墳で、国東半島突端に位置する天然の良港である竹田津たけたづ港を直下に見下ろし、東側には姫島ひめしま(現姫島村)や遠く四国北西部を望むこともできる。各古墳は蜜柑園あるいは山林中に存在するが、封土の遺存状態は悪く、石室が露出したものもある。傾斜地を利用して構築されており、石室を半ば地下に埋めているため墳丘の規模は概して小さい。

西山古墳群
にしやまこふんぐん

[現在地名]三田市けやき台

武庫むこ川の上流右岸、標高一八〇―二〇三メートルの丘陵上に位置する。奈良山ならやま古墳群とは谷を隔てた北の尾根を占める。前方後円墳一・円墳一四・方墳一・不明墳四からなり、年代は六世紀半ばから七世紀前半にわたる。昭和五一年(一九七六)から同五三年に調査された。前方後円墳の六号墳は全長三五メートル、後円部直径二三メートル、後円部に二、くびれ部に一、前方部に三の埋葬施設をもち、いずれも木棺直葬である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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