日本大百科全書(ニッポニカ) 「西海(長崎県)」の意味・わかりやすい解説
西海(長崎県)
さいかい
長崎県西彼杵(にしそのぎ)郡にあった旧町名(西海町(ちょう))。現在は西海市の北部を占める。旧西海町は1969年(昭和44)町制施行。2005年(平成17)西彼(せいひ)町、崎戸(さきと)町、大島(おおしま)町、大瀬戸(おおせと)町と合併、市制施行して西海市となった。西彼杵半島の北端に位置し、国道202号が通じる。旧町域の大半は低平な玄武岩台地で、中央部に虚空蔵(こくぞう)山(307メートル)がある。佐世保(させぼ)湾に臨む横瀬浦(よこぜうら)は、1562年(永禄5)大村純忠(すみただ)が開港して、ポルトガルと貿易を始めた港である。北東の川内(かわち)浦では真珠養殖が行われ、台地上は畑作が主で、柑橘(かんきつ)栽培が盛んである。南西部の中浦地区には、天正(てんしょう)遣欧使節の一人、中浦ジュリアンの出生地がある。伊佐ノ浦はカブトガニの繁殖地。七釜(ななつがま)は第三紀層中の石灰岩に発達した鍾乳洞(しょうにゅうどう)(国指定天然記念物)で有名。
[石井泰義]
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