西海岸道(読み)にしかいがんどう

日本歴史地名大系 「西海岸道」の解説

西海岸道
にしかいがんどう

近世以来の和人地―西蝦夷地の幹線道。箱館(函館)から津軽海峡沿岸を通り、福山(松前)城下町を経て、さらに日本海沿岸を北上してソウヤ(宗谷)に達し、ここで北海岸道と結ばれた。明治二年(一八六九)以前は熊石くまいし(現熊石町)以南は和人地(松前地)、それより北は西蝦夷地で、両地域の自由な往来を禁じ、熊石に番所を置いて通行者などを取調べた。和人地の沿道には福山・江差などの市街地や多数の漁業集落が点在し、人馬の往来も比較的多かったが、市街地のほかは修築した道路はほとんどなく、砂浜や平磯を通行した。知内しりうち(現知内町)福島ふくしま(現福島町)間、吉岡よしおか(現同上)―福山間など断崖が続く海岸部では迂回して山道に入った。西蝦夷地方面はトワヲタ(太田、現大成町)、モツタ岬(茂津多岬、現瀬棚町―島牧村間)雷電らいでん(現岩内町)、ヲカムイ岬(神威岬)シャコタンの岬(積丹岬、いずれも現積丹町)、ヲフイ岬(雄冬岬、現浜益村―増毛町間)などの難所が多く(「蝦夷談筆記」「廻浦日記」など)、おもに船を利用し、陸行の際も難所では各場所の運上屋などの掻送船を用いた。近藤重蔵は「西地之義は、兼々御存之通船路不自由之上、陸路無之場所不少、急御用等之節甚不便利」「ヲカムイ崎並ヲフイ崎之両所尤難所ニテ、毎度数十日日和待仕候ものも有之候由」として間道開削を先務としている(文化四年「蝦夷地御用留」近藤重蔵蝦夷地関係史料)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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