西町奉行所跡(読み)にしまちぶぎようしよあと

日本歴史地名大系 「西町奉行所跡」の解説

西町奉行所跡
にしまちぶぎようしよあと

[現在地名]東区内本町橋詰町

東横堀ひがしよこぼり川東岸の内本うちほん橋詰はしづめ町北側にあった奉行所。享保九年(一七二四)以降慶応三年(一八六七)まで所在した。初代西町奉行は島田直時で、元和五年(一六一九)補任。このとき大坂農人橋のうにんばし口門内塙団右衛門屋敷を修繕して奉行所を設置した(大坂濫觴書一件)。のち京橋きようばし口門外に移り、明暦元年(一六五五)大坂三郷町絵図には西町奉行曾我丹波(古祐)の名が、東町奉行松平隼人正(重綱)と並んで記される。

西町奉行所跡
にしまちぶぎようしよあと

二条城の南西千本せんぼん通東側の現西にし京北聖きようほくせい町の辺りに、寛文八年(一六六八)より慶応三年(一八六七)まで所在。

寛文五年、郡代に任ぜられた雨宮対馬守正種が、翌年屋敷地を拝領して役屋敷を設けたが、正種が町奉行に任命されるに従い、それがそのまま奉行所となったものである。同時に町奉行に任命された宮崎若狭守重成の役屋敷が二条城南、神泉苑しんせんえん西隣にあったのに対し、その西に位置したため、西町奉行所といわれる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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