出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
能のシテ方、観世流24世宗家。22世宗家清孝(きよたか)の三男観世元義(もとよし)(片山九郎三郎)の長男。京都生まれ。幼名清久。伯父の23世観世清廉(きよかど)の養子に入り、1911年(明治44)宗家を継ぐ。のち元滋(もとしげ)と名のり、1927年(昭和2)左近を襲名。華麗な芸風と見識ある政治的手腕をもって、観世流をさらに大きく進展させた。東京音楽学校の教授も務め、著書に『能楽随想』がある。宗家25世元正(もとまさ)(1930―1990)は左近の養子で、左近の叔父の子藤田等の息。端麗な芸風。『砧(きぬた)』を舞った後に急死。元正の長男の清和(きよかず)(1959― )はその後継者。平成を代表する演者。闊達(かったつ)な芸風の観世元昭(もとあき)(1937―1993)は左近の実子。京都観世流の統率者片山家の先代片山博通(ひろみち)(1907―1963)は左近の弟で、京舞の4世井上八千代はその妻。子に片山博太郎(芸術院会員、1930― )、慶次郎(1933― )、杉浦元三郎(1934―2014)がいる。なお、左近は観世宗家の通り名で、7世から11世、15、18、20、22、24世の10人が名のっている。
[増田正造]
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…信光・長俊らは作能にも新境地を開いた。室町幕府が傾くと,7世観世左近元忠(観世宗節)は駿河の徳川家康の保護を受け,その孫の9世左近忠親(観世黒雪)も家康に仕えたので,江戸時代は四座一流(観世・金春・宝生・金剛4座と喜多流)の筆頭として流勢を誇り,幕末までその地位は揺るがなかった。その間,15世観世(左近)元章(もとあきら)は,1765年(明和2)謡曲文・演出のすべてにわたる大改革〈明和の改正〉を行ったことで名高い(ただしあまりに急激な改革のため没後は旧に復した)。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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