冥途にあるという河原。小児が死後に赴き,鬼から苦しみを受けると信じられている。《法華経》方便品にある〈童子戯れに砂を聚めて塔を造り,仏道を成ず〉から構想された鎌倉時代の偽経《地蔵十王経》や解脱上人(貞慶)作という《地蔵和讃》,また江戸時代の《賽の河原地蔵和讃》などにより,地蔵信仰のたかまりとともに,中世以降とくに江戸時代に普遍化した俗信である。《賽の河原地蔵和讃》は〈死出の山路の裾野なる賽の河原の物がたり〉で,十にも足らない幼き亡者が賽の河原で小石を積んで塔を造ろうとするが,地獄の鬼が現れて,いくら積んでも鉄棒で崩してしまうため,小児はなおもこの世の親を慕って恋い焦がれると,地蔵菩薩が現れて,今日より後はわれを冥途の親と思え,と抱きあげて救うようすがうたわれている。賽とは石を積んで仏に賽する意と思われるが,さいのかみ(道祖神)のさい(障る)からきた語とも考えられている。石が道祖神と関係があったからである。京都の西郊,賀茂川と桂川が合流するあたりを佐比の河原といい,平安時代以降埋葬地となっていたが,のちここが《地蔵和讃》にいう賽の河原であるとされるにいたった。
現在,各地に賽の河原と呼ばれているところがある。火山系の山岳や洞穴のなか,いかにも冥途を思わせるような荒涼たる地に位置し,あの世とこの世の境目と意識されている。また村境の河原や葬地の近くに設定されている場合もある。いずれにも地蔵菩薩の石像や小石を数多く積み重ねた光景がみられる。このようなところの多くは,前代の葬送地であったと考えられる。賽の河原には,子どもの幽霊が現れ,赤子の足跡がのこっていたという伝承をもつところがあるが,これはここで小児の霊魂が管理され,その再生が願われたことを意味していよう。この伝承を赤子塚との関係で考え,賽の河原の原形を赤子塚と推定する説もある。江戸時代に,むだな努力を〈賽の河原の石積み〉にたとえ,また未婚者が死ぬと小児と同じように賽の河原に追いやられるということから,独身者のことを〈賽の河原〉ともいったが,ともに賽の河原信仰によったものである。
→三途の川 →地蔵
執筆者:伊藤 唯真
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出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
親に先だって死んだ子供が苦を受けると信じられている冥土(めいど)にある河原。西院(さいいん)(斎院)の河原ともいう。ここで子供が石を積んで塔をつくろうとすると、鬼がきてそれを崩し子供を責めさいなむが、やがて地蔵菩薩(じぞうぼさつ)が現れて子供を救い守るという。このありさまは、「地蔵和讃(わさん)」や「賽の河原和讃」などに詳しく説かれ、民衆に広まった。賽の河原は、仏典のなかに典拠がなく、日本中世におこった俗信と考えられるが、その由来は、『法華経(ほけきょう)』方便品(ほうべんぼん)の、童子が戯れに砂で塔をつくっても功徳(くどく)があると説く経文に基づくとされる。また名称については、昔の葬地である京都の佐比(さい)川や大和(やまと)国(奈良県)の狭井(さい)川から出たという説、境を意味する賽から出たという説などがある。
[松本史朗]
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