跡村(読み)あとむら

日本歴史地名大系 「跡村」の解説

跡村
あとむら

[現在地名]余目町跡

まち村の北西にある。暦応三年(一三四〇)正月二四日の安保光泰置文(安保文書)海辺余部あまべあまるべのうちとして「阿都郷」とあり、光泰から次男左衛門尉直実に譲られた。その後三男行泰の討死により、同年八月二二日に作られた安保光泰置文(同文書)には阿都あと郷の記載がない。寛永元年庄内高辻帳に跡村とみえ、高三〇三石余。正保郷帳では田方八二石余・畑方二一四石余。元禄九年(一六九六)の狩川大堰水下惣高覚(光丘文庫蔵)によると、高三一一石余(田九九石余・畑二一二石余)、うち六三石余郡役引、残り郡役高二四七石余、慶応三年(一八六七)の反別同人為寄帳(跡区有文書)では高三二二石余、免四ツ二分。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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