デジタル大辞泉
「軍艦操練所」の意味・読み・例文・類語
ぐんかん‐そうれんじょ〔‐サウレンジヨ〕【軍艦操練所】
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ぐんかん‐そうれんじょ ‥サウレンジョ【軍艦操練所】
江戸
幕府の軍事教練所の
一種。安政六年(
一八五九)
正月、江戸、築地講武所内にあった
軍艦教授所を拡張したもので、同年六月には、幕府の
直臣だけでなく
陪臣でも
希望者は
入所を許し、洋式軍艦操縦法を教授した。なお、別に元治元年(
一八六四)五月、
摂津国(
兵庫県)
神戸村にも設けられたが、翌年三月には廃止された。
※禁令考‐前集・第三・巻二五・元治元年(1864)四月七日「水泳稽古相止候事〈略〉御軍艦操練所おゐて水泳稽古之儀は御止相成候」
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軍艦操練所 (ぐんかんそうれんじょ)
幕末の海軍学校。1857年(安政4)7月江戸築地の講武所の中に併設された。長崎の海軍伝習参加者を教授方とし,幕臣・陪臣を問わず入学を許した。60年(万延1)講武所の移転にともない拡張されたが,64年(元治1)2月焼失し,隣地に仮稽古所を置いた。66年(慶応2)7月,海軍所と改称され,67年には浜御殿を敷地に加えるとともに,築地ではイギリス海軍伝習が行われた。
→海軍操練所
執筆者:三谷 博
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