近藤宗悦(読み)こんどうそうえつ

改訂新版 世界大百科事典 「近藤宗悦」の意味・わかりやすい解説

近藤宗悦 (こんどうそうえつ)
生没年:1821-67(文政4-慶応3)

幕末期に大坂で活躍した尺八名手一説に丹波亀山の武士の出ともいうが,出身未詳。幼時から音楽の才があり,チャルメラに長じ〈チャルメラ宗悦〉の異名をとった。中年で京都明暗寺(普化宗)に入り,尾崎真竜に師事したが,後に大坂に住み,地歌・箏曲を研究し,それらと尺八との合奏(三曲合奏)を盛んに行った。門弟は多く,宗悦流と呼ばれ,幕末から明治初年の関西の尺八界に大きな影響を残した。後の都山(とざん)流,竹保(ちくほ)流は間接的ながらその流れから生じたものである。
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朝日日本歴史人物事典 「近藤宗悦」の解説

近藤宗悦

没年:慶応3.2.7(1867.3.12)
生年:文政4(1821)
江戸後期の尺八,関西宗悦流の流祖で,道信とも号する。長崎出身で,もとはチャルメラが上手であったので「チャルメラ宗悦」と呼ばれていた。京都に出て明暗寺の役僧となり,同寺の役僧であった尾崎真竜から明暗真法流の尺八本曲を学んだ。しかし,宗悦は外曲(箏,三味線との合奏曲)に力を注いだため,真法流本曲は弟弟子の勝浦正山が継いだ。その後,活動の中心を大坂に移してからは多くの門人を得て,世に「尺八長者」とうたわれ,すぐれた弟子を輩出した。また,箏奏者の古川滝斎養子とし,地歌箏曲界とのつながりも深く,関西において尺八による三曲合奏の土壌を築いた功績は大きい。

(志村哲)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「近藤宗悦」の意味・わかりやすい解説

近藤宗悦
こんどうそうえつ

[生]文化5(1808).長崎
[没]慶応3(1867).2.7. 摂津,伊丹
江戸時代末期の明暗 (みょうあん) 流の尺八の名手。明暗寺 35世首座尾崎真龍の高弟。大坂を中心に活躍,地歌と合奏を盛んに試み,三曲合奏の先駆となる。門弟多く,その流れは宗悦流と呼ばれた。のちの都山流,竹保流はこの流れをくむ。大坂の富豪にも出入し,また,勤王方にくみして捕えられたこともある。一説には丹波亀山の松平家の臣とも伝える。チャルメラを巧みに吹き,チャルメラ宗悦とあだ名された。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「近藤宗悦」の解説

近藤宗悦 こんどう-そうえつ

1821-1867 江戸時代後期の尺八奏者。
文政4年生まれ。関西宗悦流の祖。肥前長崎の人。チャルメラが上手なため「チャルメラ宗悦」とよばれた。京都明暗寺の役僧となり,同寺の尾崎真竜に真法(じんぽう)流をまなぶ。箏(こと),三味線との合奏(外曲)に力をそそぎ,晩年は大坂で弟子をそだてた。京都の箏曲家古川滝斎(ろうさい)を養子とした。慶応3年2月7日死去。47歳。

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世界大百科事典(旧版)内の近藤宗悦の言及

【尺八】より

…これを基に江戸を中心に琴古流と称する芸系(今日まで存続)が生じ,以後,関西その他の地方にもいくつかの流派が生じた。その中では,幕末の大坂で外曲(三曲合奏)を主として活躍した近藤宗悦(そうえつ)の宗悦流(現存しない),京都明暗(みようあん)寺の明暗真法(みようあんじんぽう)流,浜松普大寺系統の西園(せいえん)流,弘前の津軽藩士のたしなみとなった錦風(きんぷう)流(根笹(ねざさ)派とも)などがよく知られる。普化宗は1871年(明治4)に維新政府の命令で廃止され,尺八も存亡の危機に面したが,荒木古童など当時の琴古流の指導者の尽力により普化宗を離れた楽器としての存続が認められ,以来,琴古流では本曲よりも外曲に力を注ぐようになり,東京を中心としつつ全国的に普及していく。…

※「近藤宗悦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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