近衛兼嗣(読み)このえ・かねつぐ

朝日日本歴史人物事典 「近衛兼嗣」の解説

近衛兼嗣

没年嘉慶2/元中5.3.26(1388.5.2)
生年延文5/正平15(1360)
南北朝時代公家。父は近衛道嗣。母は洞院実世の娘。応安1/正平23(1368)年従三位に叙せられたのち,永和1/天授1(1375)年内大臣,永和4/天授4年右大臣歴任足利義満台頭とともに,摂政関白は義満に気脈を通じる近衛・二条の両家が独占するようになっていたが,兼嗣は嘉慶1/元中4(1387)年,二条良基のあとを受け摂政・氏長者の宣下を受けた。ところが翌月父の死にあい,喪が明けてのち復任したものの,翌年29歳で死去。号は後六条後任には二条良基が任ぜられ,良基4度目の関白就任であった。

(湯川敏治)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「近衛兼嗣」の解説

近衛兼嗣 このえ-かねつぐ

1360-1388 南北朝時代の公卿(くぎょう)。
延文5=正平(しょうへい)15年生まれ。近衛道嗣(みちつぐ)の子。右大臣をへて,嘉慶(かきょう)元=元中4年摂政,氏長者となる。従一位。嘉慶2=元中5年3月26日死去。29歳。号は後六条。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android