日本歴史地名大系 「遍明院」の解説
遍明院
へんみよういん
遍明院
へんみよういん
[現在地名]秋穂町大字東 下村
秋穂町の中心秋穂浦の北に続く
寺伝によると、大内氏の家臣で、この地方の領主であった秋穂飛騨守盛治が父母の菩提を弔うために、永禄五年(一五六二)に建立したといい、開山は重慶と伝える。初め
現秋穂町一帯から山口市
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
秋穂町の中心秋穂浦の北に続く
寺伝によると、大内氏の家臣で、この地方の領主であった秋穂飛騨守盛治が父母の菩提を弔うために、永禄五年(一五六二)に建立したといい、開山は重慶と伝える。初め
現秋穂町一帯から山口市
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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