サエノカミ(塞の神),ドウロクジン(道陸神),フナドガミ(岐神)などとも呼ばれ,村の境域に置かれて外部から侵入する邪霊,悪鬼,疫神などをさえぎったり,はねかえそうとする民俗神である。陰陽石や丸石などの自然石をまつったものから,男女二神の結び合う姿を彫り込んだもの(双体道祖神)まで,この神の表徴は多様である。道祖神は境界的,両義的な特性においてきわだっている。村境にあって外から訪れる負の価値をになったものたちをさえぎる神でありながら,道祖神自身を悪霊だと考えて小正月の火祭(左義長(さぎちよう))に火中にくべられることもある。村内に侵入しようとする疫病を防ぐとともに,この神は露骨な性表現をもって知られるように多産な豊饒の力に触れている。そればかりか,この神が多くの場合〈石〉をもって表徴されることにも,境界的な特性がよく示されている。日本の民俗の中で,〈石〉は生命あるものと生命のないもの,人間の世界と死の領域,地上と地下などの中間に位置して,二つの異質な領域をつなぐ越境性をそなえた物質としてとらえられていたからである。この境界性,両義性のために,道祖神は日本人の伝統的な空間意識や時間観念の姿をさぐろうとする日本民俗学にとって,きわめて重要な存在となった。まずそれは境界の神として空間意識の〈起源〉に触れている。村の空間はたんに政治的経済的な価値をもつだけではなく,象徴論的な場でもある。そのとき,人は自分の周囲の世界に明晰な理解をもたらそうとして,そこを内/外に分割するが,この分割は逆にそのどちらにも属さない境界領域というより濃厚な不明晰を生み出してしまう。このためもう一度世界に見かけの明晰さをつくりだすためには,境界領域をのみこんでしまえる両義性の存在が必要となる。道祖神はこうして象徴論的な場としての村の空間性の要(かなめ)の位置にいることになった。またそれは時間観念や歴史意識にも関与する。たとえば,疫病のような形でカタストロフ(壊滅)的な事件が村の外から侵入してきたとき,それを象徴の力を使って処理して,事件の衝撃を安定した物語につくり替えてしまうためにも,ぜひとも道祖神のような両義的な神がいなくてはならない。道祖神はだから,日本の民俗社会にとっては,空間的な内部と外部を媒介しながら同時にその境界意識をたえまなくつくりだす〈起源〉の神であるとともに,事件が伝説などの村の歴史ディスクール(言説)に変形される際にそのちょうつがいの役目を果たす〈情報処理〉の神でもある。
執筆者:中沢 新一
上代の道の神や境の神に関しては,記紀神話や《万葉集》の旅の歌などから知ることができる。伊弉諾(いざなき)尊がこの世と黄泉(よみ)国を分けるために黄泉比良坂(よもつひらさか)に引き塞(ふさ)いだ千引石を〈道反(ちかえし)大神〉や〈塞坐黄泉戸(さえますよみど)大神〉と呼んだ話や,伊弉諾尊が〈此よりな過ぎそ〉といって投げた杖が〈岐神(ふなとのかみ)〉になった話のほか,旅の安全を祈って道の神に幣(ぬさ)をたむける風習を詠んだ歌もある。《和名抄》では,道祖をサエノカミ,岐神をフナトノカミ,道神をタムケノカミと分けているが,これらは村境や辻を守る境の神としてほぼ共通する性質を有していたと考えられている。
道祖は元来中国の行路の神で,《和名抄》には〈道祖。風俗通に云く,共工氏の子遠遊を好む,故に其の死後祀り以て祖神と為す。佐部乃加美(さへのかみ)〉とある。しかし,これは境の神であるサエノカミを道祖に付会したにすぎず,その実体は異なるものである。道祖神は古くから,道先案内者である猿田彦はじめ境にまつられることが多い地蔵,庚申,荒神,地神,子安神,金精神,姥神などと習合して複雑な信仰形態をもつにいたり,また名称も勝軍神,遮軍神,守公神,塞神,幸神,岐神,石神(しやくじん)などさまざまに分化している。このことについては,柳田国男の《石神(いしがみ)問答》(1910)が詳しく論じている。
奈良~平安時代には御霊(ごりよう)信仰や行疫神の信仰が盛んになり,国境や都の四隅に岐神や衢神(ちまたのかみ)などの境の神をまつって道饗祭や疫神祭が行われた。《今昔物語集》巻十三第34話では,道祖(さえ)神が男根形につくられて木のもとに置かれ,老翁の姿になって行疫神の先導役を務めていたようすが描かれている。道祖神を性器の形で表現する風習は,今日でもみられるものだが,《本朝世紀》天慶元年(938)9月の記事にも詳細に記されている。すなわち,京の街頭で大路小路の巷に陰陽の性器を彫って彩色した男女の人形を対向して立て,幣束や香花をささげて,岐神または御霊と称して供養したとある。《新猿楽記》にも,夫に疎遠にされた老妻が聖天や道祖神をまつったり,五条の道祖(さえ)神に粢餅(しとぎもち)を千枚も供えたという記事がある。《宇治拾遺物語》冒頭の話では,道祖神は翁の姿をし,梵天や帝釈天に対しては下位の神とされている。道祖神が遊行する疫神や亡霊の類を境で防ぐ神とされるようになった段階で,石祠を設けたり,塚を築いたり,自然石をまつるといったさまざまな祭祀方式が民間宗教者の関与によってかたちづくられて,道祖神の信仰形態や名称も複雑になる。この傾向は時代が下るにつれ著しくなる。さらに近世になって,今日みられるような信仰の形態が整えられた。
執筆者:飯島 吉晴
行旅の安全と幸福を祈祀した神。中国では祖神,行神,路神,道神などといった。《漢書》十三王伝の臨江王栄の伝において顔師古は,後人が黄帝の子累祖を行神に当てたと注し,《風俗通義》祀典では,《礼伝》の,共工の子脩が祖神とされた,という記事を引く。その祭祀を《詩経》大雅の韓奕,《左氏伝》昭公七年などでは祖といい,《周礼(しゆらい)》夏官の大馭などでは軷(はつ)という。後世,東西南北中の五方にそれぞれ神を認め,道路神として旅の安全を祈ったが,いつしか,この五神(五路神,五顕神,五通神,五道神,路頭神などと呼ばれた)を経済的な利益を授ける財神として信仰する風習が広まり,道路神としての信仰は失われてしまったようである。
執筆者:小川 陽一
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サエノカミ、ドーロクジンなどといったり、塞大神(さえのおおかみ)、衢神(ちまたのかみ)、岐神(くなどのかみ)、道神(みちのかみ)などと記されたりもする。猿田彦命(さるたひこのみこと)や伊弉諾・伊弉冉尊(いざなぎいざなみのみこと)などにも付会していることがある。境の神、道の神とされているが、防塞(ぼうさい)、除災、縁結び、夫婦和合などの神ともされている。一集落あるいは一地域において道祖神、塞神(さえのかみ)、道陸神(どうろくじん)などを別々の神として祀(まつ)っている所もあり、地域性が濃い。峠、村境、分かれ道、辻(つじ)などに祀られているが、神社に祀られていることもある。神体は石であることが多く、自然石や丸石、陰陽石などのほか、神名や神像を刻んだものもある。中部地方を中心にして男女二体の神像を刻んだものがあり、これは、山梨県を中心にした丸石、伊豆地方の単体丸彫りの像とともに、道祖神碑の代表的なものである。また、藁(わら)でつくった巨大な人形や、木でつくった人形を神体とする所もある。これらは地域や集落の境に置いて、外からやってくる疫病、悪霊など災いをなすものを遮ろうとするものである。古典などにもしばしば登場し、平安時代に京都の辻に祀られたのは男女二体の木の人形であった。神像を祀っていなくても、旅人や通行人は峠や村境などでは幣(ぬさ)を手向けたり、柴(しば)を折って供えたりする風習も古くからあった。境は地理的なものだけではなく、この世とあの世の境界とも考えられ、地蔵信仰とも結び付いている。
道祖神の祭りは、集落や小地域ごとに日待ちや講などで行われることもあるが、小(こ)正月の火祭りと習合し、子供組によって祭られることが多い。また、信越地方では家ごとに木で小さな人形を一対つくり、神棚に祀ったあと道祖神碑の前に送ったり、火祭りに燃したりする所もある。このほか2月8日あるいは12月15日に藁馬を曳(ひ)いてお参りに行く所もある。これらの祭りには、厄神の去来とその防御、道祖神の去来など、祭りの由来についての説話が伝えられていることがある。また中部地方や九州地方などで、祭祀(さいし)の起源を近親相姦(そうかん)と結び付けて語る所もある。
[倉石忠彦]
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…死んだ妊婦を埋葬した土中から赤子の泣声が聞こえたという伝説を持つ塚。赤子塚が,峠,村の境,交通の要地などに位置しているのは,境の神つまり道祖神とのかかわりの深いことを示している。古来,赤子の霊は再生するものと信じられており,その管理は境の神にゆだねられていた。…
…男女生殖器の形の石で,道祖神,サエノカミとしてまつられたり,あるいは奉納される場合が多い。陰は女性,陽は男性であるが,人工的に刻む場合と,自然石にそのような形を認め,これをまつる場合とがある。…
…このことから結婚の仲だちをする人のことを縁結びの神ということがある。その他村のはずれ,辻などにある道祖神(サエノカミ)や,淡島(あわしま)様も縁結びの神といわれて,願かけがされ,仲人をサエノカミとよぶ地域もある。 また良縁を祈って願をかける縁結びの木もある。…
…《賽の河原地蔵和讃》は〈死出の山路の裾野なる賽の河原の物がたり〉で,十にも足らない幼き亡者が賽の河原で小石を積んで塔を造ろうとするが,地獄の鬼が現れて,いくら積んでも鉄棒で崩してしまうため,小児はなおもこの世の親を慕って恋い焦がれると,地蔵菩薩が現れて,今日より後はわれを冥途の親と思え,と抱きあげて救うようすがうたわれている。賽とは石を積んで仏に賽する意と思われるが,さいのかみ(道祖神)のさい(障る)からきた語とも考えられている。石が道祖神と関係があったからである。…
…この時期は,農作業が開始される以前に,予祝の意味で呪的儀礼が行われる。境の神である道祖神祭はおもに子供組によって行われ,小正月の火祭(左義長)として定着しているが,農耕祭の一環にも位置づけられている。それは道祖神の神体が性器だからである。…
…《爾雅(じが)》釈親に〈父の党を宗族となす〉というように,中国において,女系を排除した共同祖先から分かれる男系血続のすべてを〈宗族〉といい,〈同族〉〈族党〉〈族人〉などの語も同義である。宗族と〈親族属〉とは違う。〈親属〉は日本語の親族と同じで,自己の宗,すなわち〈本宗〉(〈本族〉)と婚姻関係で結ばれた〈外姻〉とを含む。外姻は〈同姓不婚〉の原則が示すように必ず他姓である。しかし〈姓〉には歴史的変遷があり,同宗ならば必ず同姓であるが同姓は必ずしも同祖と限らない。…
…この範域は原則的に地租改正に引き継がれ,現在の大字(おおあざ)の範囲となっている。範域としての境界においても道祖神(どうそじん)がまつられたり,道切りが行われることもあるが,事例的には少なく,一般的には村境として強く意識されていない。ムラの人々が村境として意識し,さまざまな呪術的行事を行う社会的境界は集落と耕地の境である。…
※「道祖神」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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