都久夫須麻神社(読み)ツクブスマジンジャ

デジタル大辞泉 「都久夫須麻神社」の意味・読み・例文・類語

つくぶすま‐じんじゃ【都久夫須麻神社】

滋賀県長浜市にある神社。祭神は市杵島姫命いちきしまひめのみこと宇賀御魂命うかのみたまのみこと浅井姫命。本殿は国宝。日本三弁天の一つとされる。竹生島ちくぶしま神社。

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精選版 日本国語大辞典 「都久夫須麻神社」の意味・読み・例文・類語

つくぶすま‐じんじゃ【都久夫須麻神社】

滋賀県東浅井郡びわ町にある神社。旧県社。上古の創立で、竹生島を造成したという伝説をもつ浅井姫命ほか二柱をまつる。中世仏教と習合し本地仏弁財天、千手観音をまつる宝厳寺が建立された。本殿は国宝。竹生島神社。竹生島明神。

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日本歴史地名大系 「都久夫須麻神社」の解説

都久夫須麻神社
つくぶすまじんじや

[現在地名]びわ町早崎

竹生ちくぶ島の南東に鎮座する。旧県社。祭神は浅井姫あさいひめ命・市杵島姫いちきしまひめ命・宇賀御魂うかのみたま命。境内社に天忍穂耳あめのおしほみみ神社・厳島江島いつくしまえのしま神社・大己貴おおなむち神社がある。「延喜式」神名帳記載の浅井あざい郡「都久夫須麻ツクフシマノ神社」に比定される。社伝によれば、雄略天皇三年、浅井姫命を祀る小祠ができたのが始まりとされ、神亀元年(七二四)三月一五日、天照あまてらす大神の神託により都の守護神として市杵島姫命が祀られ、天平三年(七三一)には聖武天皇が参拝神殿を新築し社前に天忍穂耳命・大己貴命を祀ったという。「帝王編年記」天平神護元年(七六五)の記事によれば、藤原仲麻呂征討に際し神助があったとして従五位上が授けられている。

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改訂新版 世界大百科事典 「都久夫須麻神社」の意味・わかりやすい解説

都久夫須麻神社 (つくぶすまじんじゃ)

琵琶湖に浮かぶ竹生島に鎮座。祭神は浅井姫命。延喜式内社であるが創立は詳らかでなく,中世以来弁才天を本地仏としてまつってきた。現在の本殿(弁天堂。国宝)は,1558年(永禄1)の火災後67年に再建されたものを,1602年(慶長7)に豊臣秀頼片桐且元を奉行として改築したものである。方3間の入母屋造の住宅風の建物を母屋(もや)とし,この周囲に庇(ひさし)をめぐらしており,外観は2層にみえる。内部の柱や長押(なげし)は金具を飾り,黒漆塗として金蒔絵で草花を描き,天井は折上格天井(おりあげごうてんじよう)とし,天井板,壁,襖は金箔地に極彩色の草花を描き,華麗な室内をつくっている。正面の桟唐戸(さんからど)の桟にも金具を打ち,一面に草花の彫刻で埋め飾って,桃山風の手法を十分に発揮している。一方,周囲の庇の細部には,室町時代の手法をみせている。この神社に隣接する宝厳寺には桃山時代観音堂(重要文化財),唐門(国宝)があり,このうち唐門は1602年豊国廟豊国神社)から移築した向(むかい)唐門で,木柄が太く大虹梁の上に大きな蟇股(かえるまた)をおき,その両側や虹梁の下に花鳥の彫刻をはめ,桟唐戸や小脇羽目(こわきばめ)には牡丹唐草風の彫刻を埋め,豪華な桃山時代の特徴をいかんなく表している。都久夫須麻神社本殿母屋部分は,伏見城の建物の寄進と伝えられるが,宝厳寺唐門と同様に豊国廟の遺構の可能性もある。
竹生島
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百科事典マイペディア 「都久夫須麻神社」の意味・わかりやすい解説

都久夫須麻神社【つくぶすまじんじゃ】

滋賀県びわ町(現・長浜市),琵琶湖中に浮かぶ竹生(ちくぶ)島に鎮座。旧県社。式内社。古来当地には水神浅井姫命(あざいひめのみこと)(主祭神)が祀られ,湖上交通の安全が祈られていた。一方奈良時代から修験僧の行場となり,平安時代以降には〈神仏習合(しんぶつしゅうごう)〉が進み,弁財天を本地仏として祀り,竹生島権現・竹生島弁才天社と称し,神宮寺の宝厳(ほうごん)寺僧が別当を務めた。近世までは〈竹生島〉として両者一体で信仰された。当社は明治の〈神仏分離〉で弁才天堂を本殿として独立。本殿は豊臣秀頼(とよとみひでより)が京都の豊国(ほうこく)廟(豊国神社)の一部を移建したものとされ国宝。隣接する宝厳寺観音堂(重要文化財)へは舟底天井の渡廊(重要文化財)でつながる。同寺の唐門(豊国廟唐門を移建),〈竹生島経〉と呼ばれる平安期の装飾法華経は国宝,ほかに鎌倉期の絹本着色如意輪観音像・石造五重塔など重要文化財が多い。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「都久夫須麻神社」の意味・わかりやすい解説

都久夫須麻神社
つくぶすまじんじゃ

滋賀県長浜(ながはま)市竹生(ちくぶ)島に鎮座。市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、宇賀御魂命(うかのみたまのみこと)、浅井姫命(あさいひめのみこと)を祀(まつ)り、竹生島神社ともいう。『伊呂波(いろは)字類抄』に、伊吹(いぶき)山の多多美比古(たたみひこ)神と力比べをした浅井姫命が琵琶(びわ)湖の中に竹生島をつくって逃れ、ここに鎮まったという縁起がある。『延喜式(えんぎしき)』神名帳に登載され、その後、天台宗の勢力下で神仏習合が進み、本地仏を弁才天とし、日本三弁天の一つとなる。明治の神仏分離で現社名に復した。旧県社。本殿は豊臣秀頼(とよとみひでより)が伏見(ふしみ)城の一部を移築したと伝え、国宝。例祭は6月15日。

[白山芳太郎]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「都久夫須麻神社」の意味・わかりやすい解説

都久夫須麻神社
つくぶすまじんじゃ

滋賀県北東部,長浜市にある神社。琵琶湖竹生島に鎮座し,竹生島弁財天として有名。創立は中世以前にさかのぼるが,国宝指定の本殿は永禄 10 (1567) 年の再建,慶長7 (1602) 年改造のもの。内外は漆塗り,蒔絵障屏画絵様彫刻などで飾られ,ことに蒔絵は高台寺霊屋 (たまや) と同系統で,さらに壮大である。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「都久夫須麻神社」の解説

都久夫須麻神社
つくぶすまじんじゃ

滋賀県長浜市の竹生(ちくぶ)島に鎮座。式内社。旧県社。祭神は浅井姫命・市杵島姫(いちきしまひめ)命・宇賀御霊(うかのみたま)命。10世紀に作られた当社の縁起「竹生島縁起」によれば,恵美押勝の乱平定に神験があったという。平安時代に神宮寺宝厳(ほうごん)寺が成立し,弁才天信仰が盛んになった。例祭は6月15日。

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デジタル大辞泉プラス 「都久夫須麻神社」の解説

都久夫須麻(つくぶすま)神社

滋賀県長浜市、琵琶湖北部に浮かぶ竹生(ちくぶ)島に位置する神社。延喜式内社。祭神は市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、宇賀御魂命(うかのみたまのみこと)、浅井姫命(あさいひめのみこと)。本殿は国宝に指定。「竹生島神社」「竹生島明神」ともいう。

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世界大百科事典(旧版)内の都久夫須麻神社の言及

【安土桃山時代美術】より

…それに続く文禄1‐慶長5年(1592‐1600)は,桃山美術の完成期ともいうべき重要な時期である。この時期の建築の遺品は少ないが竹生島にある宝厳寺の唐門と都久夫須麻神社本殿は,1599年(慶長4)造営の豊国廟の一部遺構と推定されている。その内外の建築装飾は鳥獣,草花などをモティーフとし,派手な彩色や牡丹唐草の精巧な透し彫など他の時代に見られぬ生気にあふれた意匠を展開している。…

【竹生島】より

…そのとき浅井姫の頭が琵琶湖にころがり落ちて島となったのが,竹生島だという。島内には浅井姫命をまつる都久夫須麻(つくぶすま)神社がある。中世以降,神仏習合により弁才天を本地仏とし,竹生島弁才天は江の島,厳(いつく)島の弁才天とともに日本三弁天の一つに数えられた。…

※「都久夫須麻神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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