酒梨村(読み)さなせむら

日本歴史地名大系 「酒梨村」の解説

酒梨村
さなせむら

[現在地名]市島町酒梨

西側から南端美和みわ川が流れ、同川を隔てて西は与戸よと村。「丹波志」によると字ジリに蚊を封じ込めた塚があり、古くは蚊ナシ村と称していたのを酒梨村と改めたという。領主の変遷は与戸村に同じ。正保郷帳に村名がみえ田高二二八石余・畠高七〇石余、芝山・日損所あり。天和三年(一六八三)の高二八九石余、小物成夫役・柴役・糠藁役・竹役の銀納(「亀山藩知行高並小物成帳覚」氷上郡志)。元禄郷帳では高二九九石余。用水は村内のカジリ池・安家治あんがじ池・下山池より得る(明治七年酒梨区地誌調書)。「丹波志」によると家数五〇。大正年間岡山県の土井経吉の指導によって耐火煉瓦の原料である硅石を採掘した(「氷上郡志」など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

五節舞

日本の上代芸能の一つ。宮廷で舞われる女舞。大歌 (おおうた) の一つの五節歌曲を伴奏に舞われる。天武天皇が神女の歌舞をみて作ったと伝えられるが,元来は農耕に関係する田舞に発するといわれる。五節の意味は...

五節舞の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android