野沢如洋(読み)ノザワ ジョヨウ

20世紀日本人名事典 「野沢如洋」の解説

野沢 如洋
ノザワ ジョヨウ

明治〜昭和期の日本画家



生年
元治2年4月3日(1865年)

没年
昭和12(1937)年6月11日

出生地
陸奥弘前(青森県弘前市)

旧姓(旧名)
一戸

別名
幼名=大郎,三千治,初号=仙蘭

経歴
明治12年野沢家の婿養子となる。9年弘前の三上仙年師事。20年上京、のち帰郷し、26年京都に移る。同年京都新古工芸品展に入選。28年日本美術協会展で「連峰紅葉図」が褒状1等、宮内省買上げとなり、以後同会で受賞を重ねる。37〜41年中国に滞在、古名画を学ぶ。この後官展にはほとんど出品せず制作を続行。大正8年から翌年にかけて欧米を旅行、「京都日乃出新聞」に各地の風物を「欧米風俗画報」として連載した。また昭和4年台湾、朝鮮半島を旅行。晩年「亜留布斯山景」「金剛山」など崚嶺を扱った大作を描く。5年東京へ移り毎年個展を開いたが、画壇とは交渉を持たなかった。南画と円山派を融合した水墨画を得意とした。好んで馬を描き“馬の如洋”と称された。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「野沢如洋」の解説

野沢如洋 のざわ-じょよう

1865-1937 明治-昭和時代前期の日本画家。
元治(げんじ)2年4月3日生まれ。京都で今尾景年にまなび,日本美術協会展などに入賞。文展審査員に任命されたが辞退し,生涯反官展主義にたつ。山水,馬などの水墨画をえがき,「馬の如洋」とよばれた。昭和12年6月11日死去。73歳。陸奥(むつ)弘前(ひろさき)(青森県)出身旧姓は一戸。本名は三千治。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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