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野田高梧 【のだこうご】

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

野田高梧 のだ-こうご
 
1893-1968 昭和時代脚本家。
明治26年11月19日生まれ。大正13年松竹蒲田(かまた)撮影所に入社広津柳浪の「骨(こつ)ぬすみ」の脚色をふりだしに,「愛染(あいぜん)かつら」など数おおくの脚本をかく。戦後小津安二郎監督とくんで「麦秋「東京物語」などの名作をのこした。シナリオ作家協会初代会長昭和43年9月23日死去。74歳。北海道出身。早大卒。著作に「シナリオ構造論」。

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(C)Kodansha 2009.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。収録人物のデータは2009年1月20日現在のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内の野田高梧の言及

【小津安二郎】より
…茂原英雄によるトーキー技術の開発を待ってサイレントを撮り続けたが,《一人息子》(1936)で音響の世界に接し,大船の新撮影所で,新たなカメラマン厚田雄春とともに《戸田家の兄妹》(1941)や《父ありき》(1942)で〈小津調〉を確立。戦後は笠智衆と原節子とを主演に迎えた《晩春》(1949),《麦秋》(1951),《東京物語》(1953)が名高いが,いずれも野田高梧との共同脚本。カラー時代に入っての《彼岸花》(1958)や《秋日和》(1960)では物語性が極度に希薄となり純粋な抽象性に近づくが,同時にかつての大学生が会社重役や大学教授となって登場してナンセンス喜劇の味を回復する。…
【秋刀魚の味】より
…1962年製作。アグファカラー,スタンダードサイズによる撮影は厚田雄春,美術は浜田辰雄,音楽は斎藤高順というスタッフはいつもと変わらず,夏に脚本の野田高梧と蓼科の山にこもって構想を練り,秋の3ヵ月をかけて撮影。婚期を逸した娘(岩下志麻)と父親(笠智衆)のかかわりを中心にすえた物語は脚本の野田高梧と初めてコンビを組んだ《晩春》(1949)を踏襲しているが,初老の父親の旧友たち(中村伸郎,北竜二)による子どもっぽいうそのつき合いやからかい半分の冗談の応酬が喜劇味を加えている。…
【東京の合唱】より
…無声,白黒スタンダード。脚本は野田高梧,撮影と編集は茂原英朗という常連スタッフ。子どもっぽい正義感から失職したサラリーマン(岡田時彦)が妻(八雲恵美子)と2人の子どもをかかえて苦労するさまを描いた。…
【東京物語】より
…白黒スタンダード。脚本は監督自身と名コンビの野田高梧,撮影は《戸田家の兄妹》(1941)以来常連の厚田雄春,音楽はこの作品から常連になる斎藤高順。地方から上京した老夫婦(笠智衆,東山千栄子)が血縁の子どもたちの家に快く迎えられず,逆に戦死した息子の嫁(原節子)にもてなされるという題材は,アメリカ映画《明日は来らず》(レオ・マッケリー監督,1937)に想を得たものといわれるが,召集中の小津はその映画を見ておらず,それは野田高梧の脚本に影響を与えたにとどまる。…
【晩春】より
…黒白・スタンダード。戦後の小津が脚本家の野田高梧(1893‐1968)と組んで原節子を初めて主演に迎えた記念すべき作品。撮影は小津との名コンビで知られる厚田雄春(ゆうはる)(1905‐92)で,笠智衆(1904‐93)が婚期の娘をもつやもめの父親役という戦後の小津映画のパターンを作った。…
※「野田高梧」について言及している用語解説の一部を掲載しています。


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