金ヶ崎城(読み)かねがさきじょう

日本の城がわかる事典 「金ヶ崎城」の解説

かねがさきじょう【金ヶ崎城】

岩手県胆沢(いさわ)郡金ケ崎町にあった戦国時代の山城(やまじろ)で、江戸時代には仙台藩21要害の一つとされた。北上川を眼下に見下ろす標高52~54mの段丘の上にあった。同地は、平安時代に坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が築いた館があったという伝説が残る場所で、その後の安倍氏の白糸柵(しらいとのさく)はここにあったのではないかといわれている。戦国時代には葛西氏に属した豪族小野寺氏が城主だったが、この城をめぐって南部氏や江刺氏、和賀氏などが攻防を繰り返した。1591年(天正19)には伊達氏の所有となり、伊達政宗(だてまさむね)は所領の最北端の南部藩の境界に位置する金ヶ崎城を重視して、有力重臣の桑折政長(こおりまさなが)を配し、次いで伊達(留守)宗利が城主となり、1645年(正保2)の宗利の水沢転封後には伊達氏一族の大町定頼(おおまちさだより)が入城して、以後9代240年間、大町氏の城主が続いて明治維新を迎えた。現在は金ヶ崎城跡-諏訪公園として整備されている。城内の諏訪小路地区には当時の武家住宅街路などが良好に保存され、文化庁から「重要伝統的建造物群保存地区(伝建群)」の指定を受けている。JR東北本線金ケ崎駅から車で約5分。◇金ヶ崎要害、胡桃館(くるみだて)、白糸城とも呼ばれる。

出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「金ヶ崎城」の意味・わかりやすい解説

金ヶ崎城
かながさきじょう

南北朝期~戦国期の山城(やまじろ)。福井県敦賀(つるが)市金ヶ崎町にある。1336年(延元1・建武3)新田義貞(にったよしさだ)が恒良親王尊良親王を奉じてこの城に拠(よ)ったが、足利尊氏(あしかがたかうじ)の大軍に攻められ翌年落城した。南北朝期のようすは『太平記』や『梅松(ばいしょう)論』に詳しい。戦国期、朝倉氏のときに敦賀郡代の居城となり、1570年(元亀1)朝倉景恒(かげつね)が城主のとき織田信長に攻められ開城している。標高80メートルほどで、頂上には削平地がある。

[小和田哲男]

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