銀町(読み)ぎんまち

日本歴史地名大系 「銀町」の解説

銀町
ぎんまち

[現在地名]山形市十日町とおかまち二丁目

南を蝋燭あかし町、北を塗師ぬりし町に挟まれた両側町で、西は十日町と接する。金銀細工業者が集住した町で、最上氏時代城下絵図には「今銀町」と記され、寛永一三年(一六三九)の保科氏領知目録では「銀子町」とされる。元禄一〇年(一六九七)の屋敷家数等覚(山形故実録)によれば、蝋燭町境より塗師町境までの町の長さは一町一五間・幅四間一尺、石橋一、屋敷数三六軒(うち無役六軒・年貢地二軒)、家主三一人、借家店借竈数六人、人数一八九。自身番所・辻番所各一。嘉永二年(一八四九)の山形社寺調町々高明細帳(長井政太郎氏旧蔵文書)では家数三六(うち借家二)・人数一四五。

銀町
しろがねまち

戦国時代の甲府城下町に存在したと推定される町人居住地。「甲陽軍鑑」によれば、たくみ町・銀町の住人は武田家の御用商人を務めた八田村新左衛門・諏訪春芳・松木珪琳に取入り、細工人も地下人も繁盛したという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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