銚子(市)(読み)ちょうし

日本大百科全書(ニッポニカ) 「銚子(市)」の意味・わかりやすい解説

銚子(市)
ちょうし

千葉県北東部、利根川(とねがわ)河口に位置し、太平洋に臨む市。1933年(昭和8)海上(かいじょう)郡銚子、本(もと)銚子、西銚子の3町と豊浦(とようら)村が合併して市制施行。1937年高神(たかがみ)、海上(うなかみ)の2村、1954年船木(ふなき)、椎柴(しいしば)の2村、1955年香取(かとり)郡豊里(とよさと)村、1956年海上郡豊岡(とよおか)村を編入。河口の地形が銚子の口に似ていることが地名の由来という。利根川下流沿岸に水田が広がり、市街地は河口右岸に展開する。銚子半島は標高約30メートル、市の西部は標高約50メートルの台地をなし、海岸には犬吠埼(いぬぼうさき)や屏風ヶ浦(びょうぶがうら)の海食崖(がい)がみられる。JR総武本線と成田線が通じ、外川(とかわ)までは銚子電気鉄道線が走る。国道126号、356号のほか、利根かもめ大橋有料道路と銚子大橋で茨城県神栖(かみす)市の国道124号と連絡し、屏風ヶ浦へはドーバーライン(県道286号)が通じる。中世、千葉氏の一族が海上氏(うなかみうじ)を名のって中島城を築き、以後海上氏と東(とう)氏の治政が続いた。江戸時代、河港地区は高崎藩領となり、そのほかは幕府直轄地、旗本知行(ちぎょう)地となった。東北地方と江戸を結ぶ物資輸送路として1654年(承応3)利根川が太平洋へ注ぐように改修されると、東北諸藩の御用蔵が建ち並び大いににぎわった。漁業は紀州漁民が外川へ進出してイワシ漁を伝え、また、しょうゆ醸造も紀州人が発展させ、加工品の干鰯(ほしか)やしょうゆが江戸へ送られた。1897年(明治30)総武鉄道が開通して、銚子港は漁業基地としての性格が強まった。現在、日本有数の沖合漁業の根拠地をなし、イワシ、サバ、カツオ、サンマ水揚げが多く、缶詰工業、しょうゆ工業の地場産業が盛んである。河口先端に遠洋漁業用の外港も整備され、銚子港は特定第三種漁港に指定された。台地上は一面に「灯台キャベツ」が栽培され、養豚も活発となった。飯沼(いいぬま)観音円福寺(えんぷくじ)は坂東(ばんどう)三十三所27番札所で、その門前町は銚子の中心商店街へと発展した。銚子半島の東端に太平洋の荒波に削られた犬吠埼があり、水郷筑波(すいごうつくば)国定公園の拠点となっている。近くに君ヶ浜キャンプ場、ホテル、民宿などの観光施設が集中し、その西方は10キロメートルにも及ぶ屏風ヶ浦に続く。一帯には高浜虚子(たかはまきょし)句碑、佐藤春夫詩碑など文学碑が多い。円福寺所蔵の平安初期の鋳銅鐃(ちゅうどうにょう)(密教法具の一種、国指定重要文化財)、梵鐘(ぼんしょう)、猿田(さるた)神社本殿、渡海(とかい)神社の極相林(きょくそうりん)、銚子縮(ちぢみ)など県指定文化財も多い。河口に近い川口(かわぐち)神社は漁船の守護神で、大漁節(たいりょうぶし)の発祥地である。面積84.20平方キロメートル、人口5万8431(2020)。

[山村順次]

『篠崎四郎著『銚子市史』(1956・銚子市)』


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