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将棋棋士。千葉県東宝珠花(ひがしほうしゅばな)(現野田市)の生まれ。11歳で11世伊藤宗印名人に入門。棋界の不振時代に全国を行脚(あんぎゃ)、修行し、弟子の発掘に尽くした。1905年(明治38)8段、21年(大正10)13世名人となる。35年(昭和10)名人世襲制度を捨て、自ら引退して実力名人制を実施し、現代に続く新聞棋戦を確立した。親分肌で人間味にあふれ、対阪田三吉戦をはじめ棋道行脚に数多くの逸話を残す。後進の育成にも尽力し、門下には土居市太郎、金易二郎(こんやすじろう)、花田長太郎、木村義雄(よしお)など名棋士を出している。直門に限らず明治・大正生まれの棋士には彼に指導感化された者が多い。関根流の「春風のやうにさらりと指すべし」の名人戦講評、泰然とした正座対局、あふれる人情味は、大名人の風格があった。野田市東宝珠花に将棋の駒をかたどった墓碑がある。
[原田泰夫]
『木村義雄他監修『日本将棋大系13』(1980・筑摩書房)』
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…小野の名人就位は家元制度の廃止であったが,直ちに他の将棋師や愛棋家から異議を申したてられたように,明治後半期の将棋界の混迷と不統一を端的に示している。1905年当時最強の将棋師といわれた関根金次郎が12代大橋宗金の免許で八段になり,免状発行権利の委譲をうけた。08年国民新聞と万朝報(よろずちようほう)が将棋欄を設けたので将棋への関心は高まったが,翌09年棋譜掲載の独占をねらって万朝報が〈将棋同盟会〉をつくると,国民新聞も対抗して井上義雄八段らによる〈将棋同志会〉を結成した。…
※「関根金次郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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