阪東屋町(読み)ばんとうやちよう

日本歴史地名大系 「阪東屋町」の解説

阪東屋町
ばんとうやちよう

下京区室町通五条上ル

南北に通る室町むろまち(旧室町小路)を挟む両側町。南側は五条通(旧六条坊門小路)にも面する。

平安京条坊では左京六条三坊一保七町東側及び同四保一〇町西側の地、平安中期以降は六条坊門室町小路の地にあたる。院政期、当町東側の地は、白河院の離宮鳥羽・崇徳・近衛の三天皇の御所であった北院きたのいん(小六条殿)の敷地の一部にあたっていた。応永三二年(一四二五)一一月一〇日付の酒屋交名(北野天満宮史料)には「六条坊門室町東北頬 隆重」の名が、また同三三年二月一六日付の酒屋交名(同書)には「六条坊門室町北西頬 四郎五郎」の名がみえる。

阪東屋町
ばんとうやちよう

中京区東洞院通錦小路下ル

南北に通る東洞院ひがしのとういん(旧東洞院大路)を挟む両側町。北側は錦小路にしきこうじ(旧錦小路)に面する。

平安京の条坊では、左京四条三坊三保一三町東及び同四坊二保四町西。平安中期以降は錦小路東洞院大路南。

嘉慶二年(一三八八)四月二五日付の祇園社御燈所敷地注文(祇園社記)のうちに「一、錦小路東洞院南西頬口南北四丈四尺」とみえる。また、「材木屋在所」(祇園社記)に「四条東とうゐんの円阿ミた仏」とあり、祇園社材木座商人が居住していた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android