青天白日(読み)セイテンハクジツ

デジタル大辞泉 「青天白日」の意味・読み・例文・類語

せいてん‐はくじつ【青天白日】

よく晴れ渡った天気
心にいささかも後ろ暗いところがないこと。「青天白日心境
無罪であることが明らかになること。「青天白日の身となる」
[補説]「晴天白日」と書くのは誤り。

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四字熟語を知る辞典 「青天白日」の解説

青天白日

青く晴れわたったより。転じて、心にやましいと感じることがない状態。特に、無実だと明らかになり、晴れ晴れとした状態。

[使用例] イヤよほど心配しましたが、これで青天白日ようよう無罪になりました[石川啄木*雲は天才である|1906]

[使用例] いつもウィスキー洋盃コップかたむけようかと思ったが、遂にその決心に堪えなかった。彼は青天白日のもとに、尋常の態度で、相手に公言し得る事でなければ自己のまことでないと信じたからである[夏目漱石*それから|1909]

[使用例] 彼はにわかに晴天白日の身になったと感ぜられた。故人は死んだ後までも、章三郎に恵みを垂れているらしかった[谷崎潤一郎*異端者の悲しみ|1917]

[解説] 「青天白日」(晴天白日)は、文字どおりには、晴れた空と明るい太陽のこと。唐代の詩人かんの「さいぐんに与ふる書」という文章に出てきます。
 崔群は韓愈の友人。ある人が「崔群はたしかに立派な人だが、みんなが彼をほめるのは変だ」と言ったのに対し、韓愈は、「変ではない」と反論します。
 「ほうおうそう(=キノコ一種)は、誰もがめでたいものと認めている。また、青天白日は、奴隷さえもその晴れやかさを知っている」
 つまり、青空や明るい太陽が晴れやかなのが当たり前であるのと同じく、崔群が立派なのは一目瞭然で、皆がほめるのも当然だ、ということです。
 「青天白日」は、[それから]の例のように「青天白日のもとに(=はっきりと)公言する」のような使い方もありますが、古風です。現代語では特に、「青天白日の身になる」の形で、無実が明らかになった場合などに使います。韓愈の文章の意味から微妙に変化しています。

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