静川庄(読み)しずかわのしよう

日本歴史地名大系 「静川庄」の解説

静川庄
しずかわのしよう

葛城(和泉)山脈の南麓で、静川(現穴伏川)(現重谷川)に挟まれた三角形の地帯にあった荘園。東は静川でかせだ(現伊都郡かつらぎ町)に、西は名手なて江川えがわ村に接する。初見は治承二年(一一七八)閏六月二八日付の造日前国懸宮役請文案(書陵部蔵壬生家古文書)で、僧某が「静川庄所課」として国懸くにかかす(現和歌山市日前国懸神宮)檜皮葺の宝蔵一宇の造進を請負ったことを記す。次いで元暦元年(一一八四)作製と思われる田庄絵図(神護寺蔵)にも、右端、静川の西岸名手庄の北側に「静川庄」と記される。

貞応三年(一二二四)頃の覚観書状・行慈書状(神護寺文書)によれば領家は高野山で、以後引続き高野山領

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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