鞆岡庄(読み)ともおかのしよう

日本歴史地名大系 「鞆岡庄」の解説

鞆岡庄
ともおかのしよう

友岡ともおか付近にあった荘園。仁平元年(一一五一)八月、藤原頼長の奈良春日詣に際し雑役負担を指定された摂関家領諸荘の内にみえ、「官掌召使御随身等廿四前」の負担を指示され(「台記別記」同年六月二六日条)、結局「官掌召使六前」を負担している(同書八月一一日条)。建長五年(一二五三)一〇月の近衛家所領目録(近衛家文書)では藤原師実の「京極殿領内」として「山城国鞆岡庄」があり、大原野おおはらの神社(現京都市西京区)に寄進されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報