高城城跡(読み)たかぎじようあと

日本歴史地名大系 「高城城跡」の解説

高城城跡
たかぎじようあと

[現在地名]吉野町大字吉野山

子守こもりから愛染あいぜんへの中間、道の左側の高地で、標高七〇二メートル。「城山」「ツツジが城」「鉢伏山」ともいう。「和州旧跡幽考」に「高城山俗に城山といふ。大塔宮のこもらせ給ふ所とかや」とある。

大塔宮吉野城の詰城で、山頂からの眺望よく、北に高取たかとり山・竜門りゆうもん岳・竜在りゆうざい峠・多武峯とうのみねを望み、西北に楠木氏の居城金剛山や葛城山・二上山などが河内平野と奈良盆地の垣のように吉野の西をかため、東には川上かわかみの高地や高見たかみ宇陀うだ山地が高くそびえる。

高城城跡
たかしろじようあと

[現在地名]倉吉市福積

国府こう川と北谷きただに川に挟まれた標高約二〇〇メートルの高城山に位置する。遺構は山頂部と福積ふくづみ集落寄りの裾野に所在する。山頂部は近年開発されたが、上下二段の郭が配置されていたものと思われる。山頂部の郭の下部には腰郭が配され、東側に延びる支脈には堀切がみられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報