高木兼二(読み)タカギ ケンジ

20世紀日本人名事典 「高木兼二」の解説

高木 兼二
タカギ ケンジ

大正・昭和期の医師 東京慈恵医専教授。



生年
明治14(1881)年

没年
大正8(1919)年5月3日

学位〔年〕
医学博士〔明治42年〕

経歴
渡欧して英国キングスカレッジおよびセントトーマス大学に学び、明治36年更にオーストリアドイツに留学して研究を続け、40年帰国。42年父たちが創立した東京慈恵医院の内科主任となり、東京慈恵医専教授を兼ねた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

関連語 学位

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「高木兼二」の解説

高木兼二 たかき-けんじ

1881-1919 明治-大正時代の医師。
明治14年生まれ。高木兼寛次男イギリス,オーストリア,ドイツにまなぶ。明治42年父兼寛らが創立した東京慈恵医院の内科主任となり,東京慈恵医専教授をかねた。大正8年5月3日死去。39歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

春になって暖かくなりかけた頃、急に寒さが戻って、地面などがまた凍りつく。《 季語・春 》[初出の実例]「七瀬御秡 同晦日也。〈略〉雪汁いてかへる」(出典:俳諧・誹諧初学抄(1641)初春)...

凍返るの用語解説を読む