高荒屋村(読み)たかあらやむら

日本歴史地名大系 「高荒屋村」の解説

高荒屋村
たかあらやむら

[現在地名]立山町大清水おおしようず

常願寺川中流右岸の扇状地上、東大森ひがしおおもり村の東に位置し、西大森村二ッ屋ふたつやから一〇町(三州測量図籍)集落の中央に湧水地があったことから大清水とも称した。湧水地点は低位段丘の段丘崖下にあり、現在も湧水がみられる。佐伯有若が当地に来て、下従の梶川又右衛門にこの湧水を利用して開墾するよう命じ、村名を高荒屋としたという伝承がある。また下新川郡に住む有若左衛門の家来梶川又左衛門が主人の鷹を追って当地に至り居を定めたともいわれる(五百石地方郷土史要)。野方一六ヵ村の一村で、初期の高原野たかはらのの開拓拠点として成立したという。明暦二年(一六五六)の村御印留に村名がみえ、寛文一〇年(一六七〇)の村御印によると草高一〇石、免二ツ五歩(三箇国高物成帳)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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