魚の棚(読み)うおのたな

精選版 日本国語大辞典 「魚の棚」の意味・読み・例文・類語

うお【魚】 の 棚(たな)

  1. うおだな(魚店)
    1. [初出の実例]「そうじてうほのたなくじは、又もともとよりちきゃういたし候」(出典:言継卿記‐天文一四年(1545)七月二五日)

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

日本歴史地名大系 「魚の棚」の解説

魚の棚
うおのたな

[現在地名]中区丸の内一―三丁目

魚の店うおのたなとも書く。きよう町筋の南、ほり川東岸の木挽こびき町筋と久屋ひさや町筋との間の東西道路。西より順にくるまノ町・小田原おだはら町・永安寺えいあんじ町と並ぶ。正式の町名ではなく、俗称。ほん町筋の東西に魚を売る店が多かったためこの名が生じた(尾張名陽図会)。河内屋文左衛門・納屋仁右衛門ら高い格式の料理屋があった。


魚の棚
うおのたな

[現在地名]三次市三次町

五日市いつかいち町のうち、八百屋やおや町にある小さな路地。棚の代りに店の字をあてる文書も多い。正徳五年(一七一五)以前に作成された芸備諸郡駅所市町絵図(浅野長愛氏所蔵)所収の五日市町絵図に「魚棚巾一間半・長五十九間」とある。

文政一二年(一八二九)魚店丁魚問屋惣代から町役人に宛てた願上口上之覚(金井家文書)によると、魚の棚は三次藩時代から「問屋魚屋株と被為仰付罷在リ、御用向奉蒙并ニ家中御屋舗様方御用被仰付、当町家郡村引受家業相続仕候場所柄」で、「魚荷物一切当店之手ヲ相離売買仕儀堅き御制禁ニ被為在被下、丁内軒を相並へ売買取続仕居申候」という株仲間を認められていた魚商人の集中する路地であり、「他所者共も当棚一方ヲ目当テと仕罷越し、誠ニ日々夥ク荷物手捌仕」所であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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