日本歴史地名大系 「鰭ヶ崎村」の解説
鰭ヶ崎村
ひれがさきむら
流山村の東、江戸川と並行して南下する舌状台地の先端に位置する。村の東から南を
元和二年(一六一六)の小金領野馬売付帳(染谷家文書)に地名がみえる。寛文三年(一六六三)旗本本多領になる(宝永五年「郷差出帳」渡辺家文書)。元禄元年(一六八八)本多氏は大名に列し、同一六年の同氏転封以降の変遷は
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
流山村の東、江戸川と並行して南下する舌状台地の先端に位置する。村の東から南を
元和二年(一六一六)の小金領野馬売付帳(染谷家文書)に地名がみえる。寛文三年(一六六三)旗本本多領になる(宝永五年「郷差出帳」渡辺家文書)。元禄元年(一六八八)本多氏は大名に列し、同一六年の同氏転封以降の変遷は
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