デジタル大辞泉
「鳥屋」の意味・読み・例文・類語
と‐や【▽鳥屋/×塒】
1 鳥を飼っておく小屋。鳥小屋。
2 ツグミなどの小鳥狩りの際、わなを仕掛けて待つために山中や谷間に設けた小屋。
3 タカの羽が夏の末ごろから抜けて、冬までに生えかわること。その時機に、1にこもるところからいう。
4 歌舞伎劇場で、花道の揚げ幕の内部にある小部屋。花道への出入りの際の控え所。狭くて1に似ていたのでいう。
5 旅回りの役者などが、不入りなどで次の土地に出発できないでそこに滞在すること。
6 遊女が梅毒で引きこもること。また、梅毒のこと。
「―をせざる中は、本色の遊女とせず」〈浮・禁短気・三〉
とり‐や【鳥屋】
1 鳥の売買を業とする店。また、その人。
2 鳥肉を売る店。また、その料理を出す店。
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と‐や【鳥屋・塒】
- 〘 名詞 〙
- ① 鳥を飼って入れておく小屋。鶏や種々の鳥を飼う小屋をさすが、特に鷹を飼育するための小屋をいうこともある。鳥小屋。
- [初出の実例]「鳥屋(とや)を此の郷に造り、雑の鳥を取り聚めて、養ひ馴づけて」(出典:肥前風土記(732‐739頃)養父)
- ② 鷹の羽が夏の末に抜け落ち、冬になって生え整うこと。この間①にこもるところからいう。その回数によって鷹の年齢を数え、三歳あるいは四歳以上の鷹、または四歳の秋から五歳までの鷹を特に称するともいう。
- [初出の実例]「鷹の年を見るやう。一とや二とやなれば爪の上に色黒く、そこ色あかし」(出典:禰津松鴎軒記(室町末か))
- ③ ( ②の、鷹の羽が抜けることにたとえていう ) 遊女などが梅毒のために頭髪の抜け落ちること。転じて、梅毒。
- [初出の実例]「すべて勤をする女、鳥屋(トヤ)をせざる中は、本色の遊女とせず」(出典:浮世草子・傾城禁短気(1711)三)
- ④ 歌舞伎の劇場で、花道の揚幕の内部にある小部屋。役者が花道から舞台に出る前に小憩する所で、もとは狭くて①に似ていたところからいう。転じて、出を待つの意から、役者・芸人などが地方巡業の時、不入りのため収支がつぐなわず、または、次の乗込み先に故障があったりして、その土地に無駄な滞在をすることをいう。
鳥屋④〈戯場楽屋図会〉
- [初出の実例]「胴八、万平みなみな車を引、鳥井の内へは入。ト向ふとやにて」(出典:歌舞伎・韓人漢文手管始(唐人殺し)(1789)一)
- ⑤ 鳥などを捕えるために、その時機を待って、人がこもっている小屋。ツグミなどの小鳥を捕えるために山中に設けた小屋。また、そこで鳥を捕えること。古くは、鷹打(たかうち)のための小屋をさした。《 季語・秋 》
- [初出の実例]「したくの罠を掛置て、側のとやに入り野干の来るを待居たり」(出典:河東節・信田妻釣狐の段(1853))
- ⑥ 檻。
- [初出の実例]「タケキ シシワウ ノ toya(トヤ) ノ ウチ エ」(出典:サントスの御作業の内抜書(1591)一)
とり‐や【鳥屋】
- 〘 名詞 〙
- ① 鳥小屋。とや。
- [初出の実例]「御とりやなど露台につくりなさむとて」(出典:弁内侍日記(1278頃)建長二年一〇月一六日)
- ② 小鳥を飼い育てて売り買いする店。〔日葡辞書(1603‐04)〕
- ③ 鳥肉を売る店。また、それを料理して食わせる店。
- [初出の実例]「鳥屋からは小鴨一羽を七匁と申」(出典:浮世草子・椀久二世(1691)下)
- ④ 「やきとりや(焼鳥屋)」の略。
- [初出の実例]「公園の夜明しの鳥屋(トリヤ)へ客に誘はれることもある」(出典:縛られた夫(1930)〈川端康成〉)
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鳥屋
とや
南北朝期と室町期にみえる地名で、比定地を徴する文献はないが当町域と考えられる。近世期、町東部に鳥沢・深谷の二ヵ村があり、関連がうかがえる。なお明治八年(一八七五)両村は鳥谷村という行政単位となっている。康永元年(一三四二)の一〇月八日付石塔義房書状(鬼柳文書)に九月四日「三迫つくもはし、まいたの新山林、二迫のやはた、とや、以上五ケ所たてをつき候て、いてはり候」とあり、三迫合戦において当地に南朝方が城を築いている。
鳥屋
とや
武石村東北にあたり沖の北、下武石の北西。宝永三年(一七〇六)武石村差出帳(上田藩村明細帳)に「当村枝郷鳥屋東西へ弐町、南北江四拾間」とあり、竪六間、横三間の郷倉がある。天保六年(一八三五)の武石村分村規定書(池内正方氏蔵)に「武石村之儀、往古より一村ニ有之候、然ル処去ル子年地押ニ付、八ケ村ニ相分リ候」と、文政一一年(一八二八)に分村し鳥屋村となった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
鳥屋
とりや
石川県中北部、鹿島郡(かしまぐん)にあった旧町名(鳥屋町(まち))。現在は鹿島郡中能登(なかのと)町北部を占める地域。旧鳥屋町は1939年(昭和14)町制施行。2005年(平成17)鹿島郡鹿島町、鹿西(ろくせい)町と合併し、中能登町となった。能登半島の基部、邑知(おうち)潟地溝帯にあり、丘陵地が広い。JR七尾線(ななおせん)が通じる。古墳群、古窯跡群、能登軍団跡があり、荘園(しょうえん)も開けていた。近世以来、麻織物を産し、明治中期から絹織物にかわり、第二次世界大戦後は合繊織物生産へと発展。米作や瓦(かわら)製造、プラスチック樹脂加工業も行われる。明治中期から出稼ぎが多く、関西で風呂(ふろ)屋、豆腐屋として成功した者が多かった。
[矢ヶ崎孝雄]
『『鳥屋町史』(1955・鳥屋町)』
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鳥屋[町]【とりや】
石川県北部,鹿島(かしま)郡の旧町。邑知(おうち)潟低地帯の北側を占め,七尾線が通じる。古くから能登上布で知られ,現在も繊維工業が基幹産業。米作も盛ん。2005年3月鹿島郡鹿島町,鹿西町と合併し町制,中能登町となる。27.00km2。5939人(2003)。
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鳥屋
とりや
石川県能登半島基部の邑知潟平野にある中能登町北西部の旧町域。 1939年町制。 1954年相馬村の一部を編入。 2005年鹿島町,鹿西町と合体して中能登町となった。町名は春木の鳥屋比古神社にちなむ。米作が中心。古くから農家の副業として能登上布が製造された。明治後期から輸出用羽二重機業が盛んとなり,能登機業地域の中心に発展した。
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世界大百科事典(旧版)内の鳥屋の言及
【花道】より
…花道はやがて常設されるようになり,1740年(元文5)ごろには,歌舞伎に不可欠のものとなった。上方の花道は舞台の中央寄りに,客席後方へと直線状にのび,黒い揚幕(あげまく)を通って奥の小部屋(鳥屋(とや))に通じる。江戸の花道は,舞台左端寄りの位置から客席後方へと,当初は斜めに,後にはまっすぐにのびてから左に折れ,花色地に白く座紋を染めぬいた揚幕を通って小部屋(鳥屋)をぬけ,桟敷裏の通路に通じる。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」