鷹巣根城跡(読み)たかすねじようあと

日本歴史地名大系 「鷹巣根城跡」の解説

鷹巣根城跡
たかすねじようあと

[現在地名]四賀村錦部 刈谷原

苅谷原かりやはら宿西方の鷹巣根山の山上にある。会田氏の本城虚空蔵山こくぞうさん城と相対し、峰はひときわ高く富士山形で、山頂からは会田あいだ盆地の村々や四囲の山頂に置かれた城砦も一望できる。

伝承によれば会田氏の一族苅谷原五郎の城で、天文二二年(一五五三)武田氏の侵攻に際し落城しており、「高白斎記」の天文二二年の条に「三月廿九日辰ノ刻深志を御立、午刻苅屋原ヘ御着陣、晦日城ノ近辺被放火、四月小朔日丁丑二日戊寅午刻、苅屋原ノ攻落、城主長門守生捕(中略)三日己卯会田虚空蔵山迄放火、苅原ノ敵城ヲ割ル」とあり、今福石見守に城代を命じている。また「信府統記」には「苅屋原村高札場ヨリ城ノ上ニテ五町四十七間、西ノ方ナリ、本城南北八間三尺・東西五間、堀切四方ニ四段アリ、戌亥ノ方ニ用水ノ池アリ、本城ヨリ二町程ナリ、又押ヘノ番所峠マテ三十三町四十九間(中略)当城ハ昔海野小太郎幸継ノ五男苅屋原五郎ト号シテ、苅屋原・反町辺ヲ領セリ、其子孫幾代ニシテ断絶スルニヤ、詳ナラス、其ノ後太田弥助ト云者居城セリ、是ハ武州太田道灌ノ一族ナリ、(中略)当国ニ来リ小笠原ニ属ス、大永三年ヨリ当城主トナリ、七百貫ヲ領シ、小笠原家一チノ大身タリ、苅屋原ヨリ東ハ七嵐辺ノ村々保福寺マテ、西ハ川手ノ田沢村筋・並ニ川向フ鳥羽村マテ、都テ十六ケ村領地ナリ」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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