鹿場村(読み)かんばむら

日本歴史地名大系 「鹿場村」の解説

鹿場村
かんばむら

[現在地名]春日町鹿場

南端を竹田たけだ川が流れ、対岸中山なかやま村、北は妙高みようこう山。慶長六年(一六〇一)より旗本川勝領となる(鶴牧藩大概帳など)。正保郷帳に村名がみえ田高二二六石余・畠高三〇石、芝山・林あり、日損少し。同領。国立史料館本元禄郷帳でも同領で、享保一〇年(一七二五)安房北条藩水野家(文政一〇年上総国鶴牧藩)領となり幕末に至る(前掲大概帳など)。「丹波志」によるとほかに三井庄みのしよう村に四〇石の入組みがあり、家数一二三。竹細工を出荷する。

鹿場村
ししばむら

[現在地名]西吉野村大字鹿場

小古田おぶるた村の西、高所立地古田ふるた郷のうち慶長郷帳では村高六五・八三五石、幕府領(代官大久保長安)。のち延宝検地で村高は一〇九・一二四石となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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