三井庄(読み)みののしよう

日本歴史地名大系 「三井庄」の解説

三井庄
みののしよう

現春日町東部の上三井庄かみみのしよう・下三井庄一帯に比定される庄園。暦応三年(一三四〇)六月二九日の光厳上皇院宣(「中院一品記」同年七月一日条)に「淳和院領丹波国三井庄事、止別相伝之儀、可令知行給之由」とあり、源氏氏長者が管領する淳和じゆんな(現京都市右京区)領であった。成立は平安時代にさかのぼると考えられるが、平安・鎌倉時代の経緯は不明。同年に中院通冬と堀川具親との間に相論があり、光厳上皇は堀川具親の「別相伝」を止め中院通冬に知行を命じている。


三井庄
みいのしよう

鎌倉中期の簡要類聚鈔(京都大学蔵一乗院文書)の花林院家領に「三井」とある。鎌倉中期、三井庄は興福寺一乗院領荘園であり、花林院は預所と考えられる。

「大乗院雑事記」文明一一年(一四七九)五月一三日条の一乗院家御領注文行賢五巻記では、三井庄に「大乗院知行」と注記されている。ほぼ同時期の三箇院家抄(内閣文庫蔵大乗院文書)では「三井庄大乗院寄六町四反 平群郡」とあり、鎌倉中期以降に大乗院領に変わったことがうかがえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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