アムネスティインターナショナル(読み)あむねすてぃいんたーなしょなる(その他表記)Amnesty International

精選版 日本国語大辞典 の解説

アムネスティ‐インターナショナル

  1. ( [英語] Amnesty International 「アムネスティ」は大赦の意 ) 逮捕、投獄された政治思想犯釈放、獄中における待遇改善、死刑廃止等を目的とする国際的な人権擁護組織。一九六一年創設。本部ロンドン

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日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

アムネスティ・インターナショナル
あむねすてぃいんたーなしょなる
Amnesty International

略称AI。非政府組織NGO)の一つ。国際的なネットワークを使って、世界中の人権侵害に反対する市民団体。1961年にイギリスの弁護士ピーター・べネンソンPeter Benensonの新聞投書記事による呼びかけが設立のきっかけとなった。「アムネスティAmnesty」とは、英語で「恩赦」を意味する。ロンドンに国際事務局を置き、世界各地の人権状況の調査や活動の調整を行っており、160の国および地域に100万人以上の会員を擁する。組織の財源は会費と寄付からなり、不偏不党を保つため、いかなる政府からの援助も受けていない。日本支部は1970年(昭和45)に設立され、会員数は約7600人(1999年5月現在)。

 1948年に国連総会で採択された世界人権宣言に基づき人権意識を広く喚起するとともに、(1)暴力を用いないのに、自分の信念や信仰、人種、言語、性などを理由として囚(とら)われた「良心囚人prisoner of conscience」の即時・無条件の釈放を求める、(2)すべての政治囚に対する公正で速やかな裁判、その他の刑事手続の保障を求める、(3)拷問、死刑の廃止を求める、(4)軍・警察などによる市民の恣意(しい)的な殺害(超法規的処刑)や、人間を闇(やみ)から闇に葬る失踪(しっそう)を阻止する、という四つの目的のために活動する。韓国(大韓民国)元大統領・金大中(きんだいちゅう/キムデジュン)もかつて「良心の囚人」として、救援活動の対象になった。

 AIの活動の中心は「良心の囚人」の釈放を求めるため、その国の政府に送る手紙書きだが、その一方で拷問等禁止条約(1987年発効)や死刑廃止条約(1991年発効)など人権諸条約の成立にも貢献し、1993年には国連人権高等弁務官ポストの誕生にあたり重要な役割を果たした。また、国連経済社会理事会との協議資格を有しており、国際人権活動をリードする代表的な市民団体として世界的に高い評価を受けている。1977年にはノーベル平和賞を受賞。

 近年は、女性・子供の人権の保障や、迫害を受けるおそれのある国に追放または送還される難民の救援、さらに多国籍企業による人権侵害にも関心を示すなど、人権問題の位相の変化に応じて、その活動の内容にも変化がみられる。もっとも、活動の焦点が「市民的・政治的権利」の保護に偏重しているとの批判も強く、現在こうした声を受けて「経済的・社会的・文化的権利」の擁護をいかに活動のなかに取り込むかが大きな課題の一つとして浮上している。

[阿部浩己]

『アムネスティ・インターナショナル日本支部著『希望色のエアメイル』(1990・花伝社)』『アムネスティ・インターナショナル日本支部編『アムネスティ人権報告』(明石書店)』『マーシャ・ブロンソン著、依田和子訳『世界を救う国際組織4 アムネスティ』(1996・偕成社)』

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改訂新版 世界大百科事典 の解説

アムネスティ・インターナショナル
Amnesty International

政治的権力による人権侵害を守るための民間国際救援機関。略称AI。独立の非政府組織(NGO)である。amnestyはギリシア語amnēstia(忘却)に由来し,一般に恩赦・特赦を意味する。AIは基本的人権の尊重をうたった〈世界人権宣言〉(1948)の精神に基づき,イギリス人弁護士ベネンソンPeter Benensonの呼びかけに応じて,1961年国際的人権擁護団体としてロンドンで発足した。その目的は(1)思想・信条,宗教,人種,皮膚の色,言語,性などの理由で拘禁されている〈良心の囚人prisoners of conscience〉の釈放,(2)死刑,拷問の廃止,(3)政治犯の公正,迅速な裁判,(4)良心的兵役拒否は基本的人権であることの承認,(5)亡命者の権利の尊重,などにある。その活動は実態調査よりはじめ,その結果に基づいて会員のグループが,〈良心の囚人〉の釈放を実現すべく,当の政府,新聞,国際組織に手紙を送ってアピールする。また,囚人や家族を援助するため,現金,食糧,医薬品なども送る。現在,会員は150以上の国に180万人以上おり,55ヵ国に支部,22ヵ国に準支部がある(2005)。AIの国際予算はこの支部の分担金でまかなわれている。日本支部は70年に発足した。会員になるための資格はAIの国際規約と各国支部の規約を守ることだけである。現在,国際事務局はロンドンにあり,長期運動方針を決定する国際評議員会議は隔年に開かれる。73年には世界各地の囚人に対して加えられている拷問の詳細な実態報告書を発行し,75年には〈拷問禁止宣言〉(1975年12月国連総会で採択)の原案作成に参画している。また,79年第35回国連人権委員会に提出した〈拷問防止に関する国際規約〉案の原案作成に重要な役割を果たしてきた。1977年ノーベル平和賞を受けた。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説

アムネスティ・インターナショナル
Amnesty International

各国の政治犯,思想犯など,人権侵害に苦しめられている「良心の囚人」を,イデオロギーにとらわれず国際的に救援することを目的とする組織。政治犯救済国際委員会ともいう。 1961年 10月,ロンドンで発足。本部はロンドン。 56ヵ国に支部があり,5300以上のグループが加盟している。初代議長の S.マクブライドが 74年に個人としてノーベル平和賞を受賞,77年には組織として同賞を与えられた。日本支部は 70年1月に猪俣浩三らによって設立され,73年には関西グループも発足。 2000年には外務省と法務省から社団法人として認可され,国連との協議資格をもつ日本で初の非政府組織 NGOとなった。日本に政治亡命保護法を制定させる運動や在日外国人の権利拡大運動などを行なっている。

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百科事典マイペディア の解説

アムネスティ・インターナショナル

思想・信条,宗教,民族,皮膚の色,言語などの理由から投獄,拘禁されている人々(良心の囚人と呼ぶ)の釈放と死刑・拷問廃止を目的とする,市民による国際組織で,略称AI。amnestyは恩赦・特赦を意味する。1961年創立。本部ロンドン。世界に55の支部をもち,150を超える国および地域におよそ180万人の会員がいる(2004)。これまでに4万人以上の人々の釈放に成功したといわれ,1977年ノーベル平和賞を受賞。日本支部は1970年設立で,会員数9000人余。→NGO
→関連項目ベネンソン

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知恵蔵 の解説

アムネスティ・インターナショナル

言論や思想、皮膚の色などを理由として、不当に捕らえられた非暴力の人々(良心の囚人)の釈放を目指し、政治犯の公正な裁判、拷問や死刑の廃止を求めている国際民間団体。日本では「人権を守る国際救援機構」とも説明される。1961年、英国の弁護士ピーター・ベネンソンにより設立され、新聞への投書「忘れられた囚人たち」をきっかけに、良心の囚人、家族、関係当局に手紙を送る方法により、継続して救援活動を進めた。国際事務局はロンドンにあり、会員は世界150余カ国に140万人以上。中心は6000余のグループが単位となっている。77年にノーベル平和賞、78年に国連人権賞を受賞。最近では、女性に対する暴力廃止や武器貿易統制問題にも取り組んでいる。

(宮崎繁樹 明治大学名誉教授 / 2007年)

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山川 世界史小辞典 改訂新版 の解説

アムネスティ・インターナショナル
Amnesty International

代表的な国際人権擁護団体。不当な捕われの身にある「良心の囚人」の釈放をめざし,また拷問や死刑の廃止を求めて活動する。1961年に設立。2005年現在,世界52カ国に支部が置かれ,世界150カ国以上に180万人以上の会員・支援者を有する。本部はロンドン。1977年ノーベル平和賞受賞。

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旺文社世界史事典 三訂版 の解説

アムネスティ−インターナショナル
Amnesty International

国際的な民間救助団体。略称AI
NGO(非政府組織)の1つで,1961年ロンドンで発足。目的は,思想・宗教などの理由で拘束されている者(良心の囚人)の釈放,死刑廃止,良心的兵役拒否の承認など。その活動に対して1977年ノーベル平和賞がおくられた。

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