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1602年オランダ国内の諸航海会社を統合して設立されたアジア貿易のための特許会社。正式には連合オランダ東インド会社と称した。本国の議会によりアジア貿易の独占権とともに,外交・軍事・行政権を賦与された。09年初代総督が任命され,19年にはバタビア(現,ジャカルタ)に東インド総督府がおかれた。日本からペルシアに至るアジア各地に商館を開き,日本からは金・銀・銅などをアジア・ヨーロッパへ輸出したが,18世紀に入ると利益が減少。このため経営がしだいに悪化し,1798年活動を停止,99年末解散。
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…第1回のオランダ船隊は1596年にジャワのバンテンに到着し,コショウを積荷にして帰国した。その後多くの会社が組織され,多くの船隊がアジアに派遣されたが,1602年になってこれが統合されて連合東インド会社(オランダ東インド会社)が設立された。会社は初めモルッカ諸島を中心として活動していたが,19年にJ.P.クーンによって現在のジャカルタの地に根拠地が建設され,バタビアと命名された。…
…ムラカ王国はジョホールに移り,ジョホール王国となった。ジョホール王国は国際貿易で繁栄したが,この間にポルトガルの植民地であったムラカは1641年にオランダ東インド会社に占領された。18世紀に入るとスラウェシからのブギス族の移住もあって,半島にジョホール,パハン,クランタン,トレンガヌ,ペラ,ケダ,スランゴールの諸王国が分立した。…
※「オランダ東インド会社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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