イギリスの漂白技術者。エアーシャーのオーキルトリーに生まれる。初等教育を受けたのち、製糸・漂白について修業、その後数人共同で漂白工場を創設した。当時の漂白方法は天日さらし法で、数週間から数か月を要したが、産業革命のさなかにあっては、この方法では大量の織物を仕上げるには貧弱すぎた。テナントは1789年塩素と消石灰による液体漂白剤製造法に関する特許を、1799年には乾燥した粉末漂白剤製造に関する特許を取得した。粉末漂白剤の出現は輸送の問題を解決し、大量生産も可能にした。この間、1790年にはグラスゴー近くのセントロロックスに工場を建設し、初年度に50トンの粉末漂白剤を製造し、その後1830年には年間1000トンの製造を可能にした。また1820年代に鉛室法による硫酸の製造、ルブラン法によるソーダの製造を始め、ヨーロッパ最大の化学工場にまで発展させ、イギリスの産業革命に大きく貢献した。
[雀部 晶]
イギリスの化学者。ヨークシャーのセルビイに生まれる。エジンバラ、ケンブリッジの両大学で医学を学ぶ。ケンブリッジ大学化学教授(1813)。ダイヤモンドと木炭の燃焼から生じる炭酸ガス量を比較し、両者の化学的同一性を証明した(1796)。また、1804年に白金鉱石の黒い王水不溶物から2種の新金属を発見し、それぞれ化合物の性質からイリジウム(ギリシア語の「虹(にじ)」から)、オスミウム(ギリシア語の「臭(にお)い」から)と命名した。1800年からW・ウォラストンと白金製品を販売した。フランスに旅行中、母親と同じく乗馬事故で死去した。
[肱岡義人]
イギリスの工業化学者・企業家。漂白工から身をおこし,化学工場を経営した。1774年K.W.シェーレが塩素を発見し,次いで85年にC.ベルトレは,塩素溶液の漂白力に注目し,布の漂白剤として用いたが,液体のため輸送が困難であった。そのような状況にあってテナントは漂白剤の製造に従事し,99年塩素を消石灰に通じることによって粉末化に成功し,漂白業に革命をもたらした。彼はすぐにこの漂白粉(さらし粉)の製造に関する特許を得て,この製造工場をセント・ロロックスにつくった。これは彼の卓越した技術革新・経営能力によってヨーロッパにおける最大級の化学工場となり,産業革命期における化学工業の発展に寄与した。なお彼は鉛室法の改良等も行っている。
執筆者:斎藤 茂樹
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