世界規模のフィンランドの携帯電話会社。ノキアの歴史は、1865年にフィンランド南西部の川縁に設立された製紙パルプ会社に始まる。事業の成功に伴い、工場の周りにはコミュニティが生まれて発展し、1898年には各種ゴム製品を生産するフィニッシュ・ラバー・ワークス社が設立された。一方1912年に、ノキアの通信事業のルーツともいえるフィニッシュ・ケーブル・ワークス社がヘルシンキで事業を開始した。当時、送電や電報・電話ネットワークへの需要が急増し、旧ソ連、西側諸国との取引きを開始していった。
1966年から1967年にかけて、ノキア社、フィニッシュ・ラバー・ワークス社、フィニッシュ・ケーブル・ワークス社の3社が合併し、ノキア・グループとなった。モバイル事業としては1982年に初の移動電話機「モビラ・セネター」を発売し、通信機器市場を大きくにぎわせた。1984年には「モビラ・トークマン」を発売、持ち運びできる携帯電話機第1号としてノキアの名前を世界に知らしめ、イギリス、アメリカなど新たな市場に参入していった。その後の1987年には、コンパクトかつ高機能な「モビラ・シティマン」を発表。初めて手のひらに収まる携帯電話として人気を博した。
また、早い段階から、ヨーロッパのデジタル携帯電話の標準規格を策定するためのGSM(Global System for Mobile Communications)テクノロジーの主要メンバーとなり、1991年に世界初のGSM通話がノキアの端末で行われ、ヨーロッパ9か国にGSMネットワークを提供した。翌1992年には、GSM携帯電話の第1号「Nokia 1011」を発表、これは大量生産された最初のGSM電話となった。その後、ヨーロッパ、アジア(日本、韓国以外)、オセアニア、アフリカ、北アメリカなど、世界の広域をカバーし、GSM方式のエキスパートとして大きな成功を収めている。
1993年、世界初のSMSC(ショートメッセージ・サービスセンター)がノキア・ユーロポリタンネットワークで商用化、SMSは全世界(日本を除く)で、国を超えて短いテキストを送受信する手段として広がっていった。1999年、「Nokia 3210」を発売。デザイン、ユーザーインターフェース、機能、耐久性など、多くの人々に評価され、2000年に後継機「Nokia 3310」が出るまでに1億6000万台以上が販売された。また、これはアンテナが端末内部に搭載された最初期の携帯電話でもあった。2003年、「Nokia 6650」は、ノキア初のW-CDMA(Wideband-code Division Multiple Access)をサポートした携帯電話となる。2004年に発表された「Nokia 6630」(Vodafone 702NK)では、パソコン向けのメールサービスが扱え、パソコンの予定表やアドレス帳などを同期、パソコンのメールも確認できるようになった。2007年には、動画も撮影可能な5メガピクセルのカメラ、GPS、ラジオチューナーなど、多くの機能を盛り込んだ端末「Nokia N95」(SoftBank X02NK)が発売された。
世界的な通信ネットワークの再編のなかでは、ドイツのジーメンスと合弁でネットワーク事業を展開するノキア・ジーメンス・ネットワークスNokia Siemens Networksを設立し、2007年4月より運営を開始。また、2008年にはデジタル地図データサービスを提供するナブテックNAVTEQを買収した。2008年時点で、世界150か国以上で携帯端末を販売し、マーケットで39%のシェアを確保したと推計される。2008年には、携帯電話向けOSの開発会社シンビアンSymbianを買収した。これは2010年時点では、スマートフォン用のOSとしてシェア1位、フィーチャーフォンにおいても基本OSとして広く使われていた。しかしAndroidおよびiPhoneの登場によって2012年のシェアはわずか3.3%と激減した。
2011年、マイクロソフトと提携し、Windows Phone搭載の「Lumia」シリーズの提供を開始。2013年夏には、最後のSymbion OSベースのスマートフォンを出荷、Windows Phoneに完全移行することを発表した。2013年9月には、マイクロソフトがノキアの携帯電話事業を54億4000万ユーロ(約7140億円)で買収することが明らかになった。ノキアのWindows Phoneは2013年第2四半期には700万台を超えた。2012年の売上高は301億7600万ユーロ、純利益はマイナス23億300万ユーロ。
ノキアの日本法人ノキア・ジャパン株式会社は1989年(平成1)4月に設立された。ノキアの製品は、日本でもドコモや現ソフトバンク系の携帯電話端末として販売されていたが、2009年(平成21)初頭で一般向けの携帯電話事業から撤退した。時期を前後して、携帯端末価格が数十万~数百万の富裕層向け携帯電話通信事業を「Vertu」というブランドで展開。価格とコンシェルジュサービス(航空券、レストラン、クラシックコンサートなどの情報提供や予約受付)などが話題になったが、携帯業界や経営環境の悪化により、2011年8月末でサービス終了した。これにより日本での携帯電話端末の販売は、全面的に撤退となった。一方、通信事業者向けのインフラ事業は現在も継続して提供されている。
[小林千寿]
『武末高裕著『なぜノキアは携帯電話で世界一になり得たか――携帯電話でIT革命を起こす』(2000・ダイヤモンド社)』▽『スタファン・ブルーン、モッセ・ヴァレーン著、柳沢由美子訳『ノキア――世界最大の携帯電話メーカー』(2001・日経BP社、日経BP出版センター発売)』▽『トレヴァー・メリデン著、信達郎訳『携帯市場のパイオニア ノキア』『ノキア――携帯電話で世界を席巻する』(2002、2004・三修社)』
(2012-09-7)
「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...
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