共同通信ニュース用語解説 の解説
ロサンゼルス・ドジャース
1890年にニューヨークのブルックリンを本拠地としてナ・リーグに参入した。1947年に黒人選手として初めてジャッキー・ロビンソンがメジャーでプレー。55年にワールドシリーズ(WS)を初制覇し、58年にロサンゼルスに移転。2020年には32年ぶりにWSを制した。日本選手は過去に
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1890年にニューヨークのブルックリンを本拠地としてナ・リーグに参入した。1947年に黒人選手として初めてジャッキー・ロビンソンがメジャーでプレー。55年にワールドシリーズ(WS)を初制覇し、58年にロサンゼルスに移転。2020年には32年ぶりにWSを制した。日本選手は過去に
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アメリカのプロ野球球団。ナショナル・リーグ所属(西地区)。フランチャイズをカリフォルニア州ロサンゼルスに置き、ドジャー・スタジアムを本拠地としている。球団名の変遷は、ブルックリン・ブライドグルームス(1890年)―ブルックリン・スーパーバス(1899年)―ブルックリン・ドジャース(1911年)―ブルックリン・ロビンス(1914年)―ブルックリン・ドジャース(1932年)―ロサンゼルス・ドジャース(1958年)。
1883年にマイナー・リーグで優勝したブルックリンのチームが、1884年からアメリカン・アソシエーションにトロリードジャースとして加盟した。1889年からブライドグルームスを名乗り、1890年よりナショナル・リーグへ転籍。数度の改称を経て、1932年からドジャースに定着した。1916年にリーグ優勝、20年にも優勝、41年も21年ぶりに優勝したが、いずれもワールド・シリーズでは勝てなかった。1947年に黒人選手第一号のジャッキー・ロビンソンと強打者デューク・スナイダーDuke Snider(1926― )がデビューしてリーグ優勝。1948年には強打の捕手ロイ・キャンパネラRoy Campanella(1921―93)がデビュー、ロビンソン、主砲ギル・ホッジスの活躍もあって49年、52年、53年にリーグ優勝。しかしワールド・シリーズではすべてニューヨーク・ヤンキースに敗れた。1955年にキャンパネラが3回目の最優秀選手(MVP)を受賞してワールド・シリーズに進出。ついにヤンキースを倒して球団初の「世界一」となった。だが1956年はヤンキースに逆襲され、リーグ優勝にとどまった。1958年からフランチャイズをロサンゼルスに移し、59年にふたたびワールド・シリーズを制した。1962年に現本拠地が開場。名左腕サンディー・コーファックスと、内角攻めで知られたドン・ドライスデールDon Drysdale(1936―93)のエースコンビを中心に、1963年、65年、66年にリーグ優勝した。いずれの年もコーファックスがサイ・ヤング賞を受賞し、1963年はMVPにも選ばれた。1963年と65年はワールド・シリーズも制した。1966年のシーズンオフに、絶頂期のコーファックスは故障を理由に突然、引退した。両リーグ2地区制となった1969年からは西地区に配属された。1970年代には、堅実な打撃のスティーブ・ガービーSteve Garyey(1948― )を中心に74年、77年、78年とリーグ優勝したが、いずれの年もワールド・シリーズでは敗れた。1981年には、フェルナンド・バレンズエラがデビューし、マイク・ソーシアが正捕手として投手陣を牽引(けんいん)。その年はストライキで前、後期制となり、前期優勝して後期優勝のヒューストン・アストロズと5試合制の地区優勝決定プレーオフを戦い、2連敗から3連勝した。プレーオフでモントリオール・エクスポズ(現ワシントン・ナショナルズ)に勝ってリーグ優勝し、ワールド・シリーズでもヤンキースを破り「世界一」となった。1983年、85年、88年に地区優勝。1988年はリーグ優勝してワールド・シリーズに進出し、オークランド・アスレチックスと対戦した。第1戦の9回裏に、故障で控えとなっていたカーク・ギブソンKirk Gibson(1957― )が代打で登場して逆転サヨナラ2ランホームランを放つなど、勢いに乗ってシリーズを制し、ギブソンは無冠ながらMVPに選ばれた。両リーグ3地区制が導入された1994年は首位ながらストライキでシーズン打ち切りとなったため、優勝扱いにはならなかった。1995年に野茂英雄(のもひでお)がデビュー、捕手マイク・ピアッツァとの息のあった投球をみせ、奪三振王を獲得して新人王となり、地区優勝に貢献した。1996年は地区2位ながらワイルドカード(リーグごとに各地区優勝チーム以外の最高勝率チームに与えられるプレーオフ進出の権利)でプレーオフへ進出。しかし両年ともリーグ優勝はできなかった。この年のシーズン途中、1976年以来チームを率いてきた名将トミー・ラソーダが健康上の理由から監督の座を退いた。また、同年限りでオマリー一族が球団経営から撤退、1997年よりメディア界の大手FOXグループが経営に乗り出し、さらに2004年には不動産業で財をなしたフランク・マッコートがチームを買収した。この間、チームは2位2回、3位4回にとどまったが、2004年には9年ぶりの地区優勝を果たした。
[山下 健]
2005年は4位に終わったが、翌06年はあらたに獲得した強打者ノマー・ガルシアパーラ、抑え投手斎藤隆の活躍もあり、ワイルドカードでプレーオフに進出。しかし、ディビジョン・シリーズでニューヨーク・メッツに3連敗を喫し、敗退した。2007年は4位と低迷。なお、そのほか日本人選手では、石井一久(かずひさ)投手(2002~04年)、黒田博樹(ひろき)投手(2008年~)らがプレー。
1890年から2007年までの通算成績は、9473勝8611敗、地区優勝9回、リーグ優勝21回(うち1リーグ時代は3回)、ワールド・シリーズ優勝6回。
[編集部]
『アル・カンパニス著、内村祐之訳『ドジャースの戦法』(1990・ベースボール・マガジン社)』
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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