北谷遺跡(読み)きたやついせき

日本歴史地名大系 「北谷遺跡」の解説

北谷遺跡
きたやついせき

[現在地名]高崎市引間町

はる山の東麓、現高崎市引間ひきま町(旧群馬町引間)に所在する五世紀後半の豪族居館跡。平成一二年(二〇〇〇)に付近で店舗開発があった際に調査されて存在が明らかになった。その後平成一五年度まで、範囲確認調査が行われ、遺跡の全体像が明らかになった。調査以前は、周囲を巡る堀割の存在から、中世の城館跡と考えられ、引間城と呼称されてきた。

一連の調査の結果、遺跡は約九〇メートル四方の郭部分を幅約三〇メートルの堀が囲むもので、確認された限りでは、郭に六ヵ所の張出し部が付き、これとは別に二ヵ所、外部とつなぐ土橋状の構造が認められる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「北谷遺跡」の解説

きたやついせき【北谷遺跡】


群馬県高崎市冷水町・引間町にある住居跡。関東平野の最北部、榛名山(はるなさん)東南山麓の裾野に広がる標高145mの台地上にある。2000年(平成12)に試掘調査を行ったところ、古墳時代の豪族居館の存在が確認された。その後の発掘調査で、居館は東西方向に延びる2つの谷と、谷を結ぶ形で南北方向に掘削された2つの濠によって囲まれ、平面形は1辺90m四方の方形基調とし、本体側の谷や濠の斜面には基盤層に含まれる角礫を用いた石積みが施されていることが判明。居館は古墳時代中期の5世紀後半に始まり、濠に榛名山の噴火による火山灰が堆積していることから、6世紀初頭には衰退に向かったと推定され、内部の竪穴(たてあな)建物の遺存状況も良好なことから、2005年(平成17)に国の史跡に指定。約3km離れた三ッ寺I遺跡と同じ規模と形態で、北西1kmのところにある全長100m前後の前方後円墳3基からなる保渡田(ほどた)古墳群の被葬者に関わる居館と考えられている。JR上越新幹線ほか高崎駅から車で約35分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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