正規軍のほかに、その国の国籍をもたない外国人志願兵で編成された部隊をさし、傭兵(ようへい)の一形態である。19世紀以降のフランス植民地で先住民の反乱鎮圧に用いられた外人部隊がもっとも有名である。フランスは1830年アルジェリアに軍隊を派遣して植民地化を開始したが、先住民の激しい抵抗を武力鎮圧するため、1831年、国王ルイ・フィリップの命により外人部隊が創設された。
外人部隊は1834年のアルジェリア併合以降、同地の治安維持にあたり、1843年アルジェリア西部のシディ・ベル・アベスに本部が置かれ、1847年には民族運動指導者アブデル・カーデルの対仏抵抗運動を鎮圧した。海外出兵としては、1835年にスペイン女王イサベル2世のもとに派遣されて王位継承内乱に利用されたり、クリミア戦争(1853~56)やナポレオン3世によるメキシコのマクシミリアン皇帝派支援(1861~67)に派遣されたりした。しかし外人部隊が全盛期を迎えるのは1881年のチュニジア、1912年のモロッコの保護領(国)化のころで、1883年にはアルジェリア南西部のサイダにも拠点が増設され、1884年の法律によってその規則が整備された。創設時、スイス人を中心にドイツ人、スペイン人、イタリア人、ベルギー人、オランダ人、ポーランド人から構成された部隊の兵力は1000人弱であったが、アルジェリア征服が進んだ1870年代以降、兵力は6000~7000人に拡大した。第一次世界大戦には4万5000人の外国人が志願兵として編入されたが、高い死傷率のため兵力拡大にはつながらなかった。戦後の在隊者の出身国はドイツ、イタリア、ロシア、スイス、ギリシアが多く、その後も1925年のモロッコのリフ戦争、1930年のフランス領インドシナ(現ベトナム)のイェン・バイ蜂起(ほうき)にも鎮圧のため派遣され、以後インドシナにおける植民地政策強化のための主要な手段となった。
第二次世界大戦後、植民地の相次ぐ独立戦争のなかで、外人部隊は派遣正規軍とともに戦闘に投入され、その兵力は数万にも上ったが、第一次インドシナ戦争(1945~54)では、ホー・チ・ミンの率いるベトナム軍に敗れ、またアルジェリア独立戦争(1954~62)でも、投入された外人部隊はアルジェリア民族解放戦線(FLN)勢力に勝つことはできなかった。1961年アルジェの外人部隊落下傘連隊を中心に起こった反ドゴール反乱は失敗に終わり、これを機にフランス国内では外人部隊解散の動きもみられた。しかしドゴールはこれを解散せず、その機能を改編し、落下傘部隊と機械化部隊として存続させた。
1962年のアルジェリア独立とともに外人部隊の植民地での歴史は幕を閉じ、本部はマルセイユ近郊のオーバーニュに移された。以後、外人部隊はフランス本国にも駐屯できる完全なフランス陸軍部隊となった。その後の派兵は、1978年のザイール紛争での白人救出作戦、1982年のPLO(パレスチナ解放機構)のレバノン撤退時における国連監視軍第一陣ベイルート派遣、1990年の湾岸戦争への派遣などである。
外人部隊志願者は、厳格な訓練と軍紀に耐えられる17歳から40歳までの男子であれば、国籍も過去も問わず採用され(重犯罪を犯した者を除く)、契約年限5年(1982年からは3年)を満了して退役すると、フランス国籍を取得することもできる。2005年現在、兵力8000人で、フランスの国内外に10個連隊を配置している。1980年代以降、日本人志願兵の数が増え続けており、退役した元日本兵の手記なども出版されている。また、冷戦が終結した1990年代以降には、旧ソ連諸国や東ヨーロッパからの志願兵も増えている。1831年以来の歴史をもつ外人部隊は、時代とともに大きな変貌(へんぼう)を遂げつつ存続している。
なお、傭兵は古代ローマ帝国、ビザンツ(ビザンティン)帝国、アラブ帝国、中世封建時代、さらに冷戦後の現代世界の地域紛争にも現れるなど、歴史的にも広範囲にわたる兵隊をさすが、外人部隊は近代以降の帝国主義諸国が、おもに植民地の治安維持・反乱鎮圧に用いた補助部隊として発展した点に特徴があるといえよう。
[小山田紀子]
『柘植久慶著『フランス外人部隊――祖国を捨てた男たち』(1986・原書房)』▽『小日向健著『わが青春の外人部隊』(1996・創樹社)』
外国人を雇って編成した軍隊をいい,傭兵の一形態である。近代国家の軍隊が,祖国への忠誠心や愛国心を基調とする徴兵または志願兵制の国民軍であるのに対し,外人部隊は金銭的報酬を条件に,契約によって戦闘を義務づけた傭兵で編成された武装集団であって,主として植民地の治安維持などの任務に使われ,国家防衛の中核的役割を担うことは少ない。外人部隊の起源は古代ギリシアの傭兵軍に求めることができ,15世紀ころからフランスで外国人傭兵が大規模に活用され始め,ナポレオンのエジプト遠征時には,全ヨーロッパから外国人傭兵が募集された。近代における外人部隊もフランスのものが最も有名で,アルジェリアの占領に伴い,フランスは1831年に外人部隊légion étrangèreを創設してこれを派遣し,北アフリカに植民地を拡大していった。その後もフランスは逐次外人部隊を増強してマダガスカル,モロッコなどへも転戦させ,第2次世界大戦でも戦闘に参加させている。しかしインドシナ戦争(1946-54)では仏連合軍の主力部隊として1万9000人の外人部隊が投入されたが,ディエンビエンフーの陥落(1954年5月)で大打撃を受け敗退した。またアルジェリア戦争(1958-62)にも参戦したが,アルジェリアの独立によってその存在意義を失っていった。その後各地のフランス領植民地の独立に伴って外人部隊は逐次縮小され,1981年現在,8000人程度の規模になっている。スペインの外人部隊legión extranjeraは1921年に創設され,スペイン内戦(1936-39)ではフランコ将軍に率いられて戦い,その政権樹立を助けた。
一般に外人部隊への入隊者は軍隊生活経験者が多く,志願者はドイツ人,スイス人が多い。採用される者は20~40歳の男子で,国籍や前歴などは問われないのが普通で,契約期間は3~5年,更新も可能で,場合により将校にも任用されている。任地はアフリカなど植民地が多く,全般に厳しい勤務条件といえる。
近代的傭兵としては外人部隊のほかにイギリスのグルカ兵など現地採用の傭兵の例もあり,また,コンゴ動乱(1961),ナイジェリア内乱(ビアフラ戦争,1967-70),セーシェルのクーデタ事件(1981)などでは,多くの白人傭兵が導入された。
外人部隊は入隊者の過去を一切問わないため,政治亡命者や犯罪者など暗い影を持った人,冒険を求める人たちのたまり場ともなっていたといわれ,アフリカの砂漠を舞台とした外人部隊の生活は,映画や小説の好材料ともなっている。映画としては,J.フェデル監督,マリー・ベル主演の《外人部隊》,スタンバーグ監督の《モロッコ》などが有名である。
→傭兵
執筆者:茅原 郁生
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…外国人を雇って編成した軍隊をいい,傭兵の一形態である。近代国家の軍隊が,祖国への忠誠心や愛国心を基調とする徴兵または志願兵制の国民軍であるのに対し,外人部隊は金銭的報酬を条件に,契約によって戦闘を義務づけた傭兵で編成された武装集団であって,主として植民地の治安維持などの任務に使われ,国家防衛の中核的役割を担うことは少ない。外人部隊の起源は古代ギリシアの傭兵軍に求めることができ,15世紀ころからフランスで外国人傭兵が大規模に活用され始め,ナポレオンのエジプト遠征時には,全ヨーロッパから外国人傭兵が募集された。…
…その後,アルプス山ろくの寒村を背景に少年と継母の心理的交渉を描いた《雪崩》(1923),写真屋に飾られた写真の女をもとめてさまようというジュール・ロマンのオリジナルシナリオによる〈ユナニミスム文学〉のロマンティックな映画化《面影》(1924),エミール・ゾラ原作の《テレーズ・ラカン》(1928)などをつくり,28年にはフランス国籍をとったが,ロベール・ド・フレールとフランシス・ド・クロアッセの喜劇をもとにした風刺映画《成上りの紳士たち》(1928)が議会と閣僚の威厳を非難するものとして公開禁止になり(1929年になって解除された),失意のうちにハリウッドへ渡り,グレタ・ガルボの最後のサイレント映画《接吻》(1929)を撮るとともに,ガルボ映画《アンナ・クリティ》のドイツ語版(1930)などをつくるが,ハリウッドになじめず31年に帰国した。 同じベルギー出身の脚本家シャルル・スパーク(1903‐75)との共同脚本と夫人のロゼー主演の《外人部隊》(1934),《ミモザ館》《女だけの都》(1935)は1930年代フランス映画の代表作であるにとどまらず,世界映画史を飾る作品に数えられているが,《女だけの都》はナチの侵入後ゲッベルスによって公開を禁止され,フェデルは戦争の間スイスへ避難することを余儀なくされた。そのほか,アレクサンダー・コルダに招かれてイギリスでマルレーネ・ディートリヒ主演の《鎧なき騎士》(1937),ドイツで《旅する人々》(1938)などを撮っている。…
※「外人部隊」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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